真夜中のラブレター症候群telomere 2013-2-19 3:50 4442 hits telomereさんのすべての写真 フォトギャラリーTOP nikon F4 ゼニター16mm fisheye 深夜に思いついたアイデアは使い物にならない、とよく言われる。 大抵の場合、朝起きて見返すと、なんてくだらないことを考えているんだと自嘲気味に笑ってしまうこともあるし、根本的に何の根拠もない思考の成果だったりする。 それでも、あの頭の中に浮かんだときの高揚感は何に例えられるだろうか?我ながら名案じゃないか!と膝を打つ思いは、使えるかどうかは別にして悪いものでもないと思う。 自転車に限らず、何らかのスポーツをしているとき、何かに集中しているとき、稀に起こるハイテンションとクールさの同居に似た感覚、あれも捨てがたい。 漕ぎ始めは、ただ寒さと空気の抵抗しか感じない。しばらくそのままこぎ続ける。心拍数は高いものの体は徐々に温まってくる。 呼吸が乱れないよう調整しながら、自分の体の状態に合わせてペースアップする。時折、勢いよく抜き去っていく車の姿に心を乱しながらも、冷静に 冷静に、と言い聞かせながらケイデンスを上げていく。いろんなことが頭の中を去来する。 「疲れが明日に残ると仕事に影響するなあ」 「しまった今シフトミスした・・・」 「帰ったら旨い酒が飲めそうだ」 いつの間にか、無心で走っていることに気づく。 ペースは、これ以上は1回転も上がったら航続できない、しかし少しでも下げたら調子が崩れる、そんな絶妙のバランス。 すれ違う車の相対速度も、追い上げる自転車も、車もすべて把握している。 絶好調なのに、調子に乗るなよ、と諌めるもう一人の冷静な自分の存在を頭の片隅で自覚している。 路面の状態から浮いている砂粒まで全て見える。 空間が歪んでいるわけではない。周りの空気が凝縮されて全ての情報を吸い寄せているような、そんな時間。 そして、あまりにも明敏な知覚は、それ故にこの素晴らしい感覚が、そう長くは続かないだろうことも理解している。 最終的にそれは、甘美な夢から醒めるときのように、これは夢だと気づいた時点で切れる麻薬のように、ほのかな余韻を残しながら途切れる。 脳内の伝達物質が起こす超感覚であったとしても、それは経験したものにしか理解できない、甘やかな、しかし心地よい疲労感として体が記憶する。 多分、そうやって追憶と共に香るかすかな感覚が、また同じものを求めるのだろう。 そこには、何者とも比べることもない体験なのだから。 故に自転車乗りはどこか孤独で、馬鹿なのだ。それでいいのだと肯定する。 あとで読んで後悔するであろう文章も推敲せずにアップする。なぜなら、真夜中だから。 |