自転車に乗っている間に考えていること ~ 走る哲学者の問いと悟り ~momochi_gyugund 2013-2-17 20:46 6741 hits momochi_gyugundさんのすべての写真 フォトギャラリーTOP 馬鹿野郎! 「自転車に乗ると読書ができない」だの「通勤時間の有効活用」だのせせこましいことこの上ない! 「将来のために今はがまんする」といえば聞こえはいいが、今この瞬間を犠牲にしてしまっている奴が、本当に将来夢をつかむことができるのか!? 充実した「今」の積み重ねこそが、本当に充実した将来につながる唯一の道じゃないのか!? だからといって俺が「自転車に乗る時くらい俗世のことは忘れろ」とか「自転車に乗りながらイヤホンで音楽を聞くのは条例違反」だのとぶちたいわけではない。 どうやらここは、俺が弟子との間の問答により悟りを開いた時のことをはなさなければならない流れのようだな・・・ あれは俺が新しく赴任した学校で念願の自転車競技部を立ち上げ、その運営も軌道に乗ってきたある秋の日のことだ。 トレーニング中、ある一人の部員が俺に疑問をぶつけてきた。 まなぶ「先生、自転車に乗っている間は何を考えているのですか?」 俺「・・・!?」 自転車に乗っている間は何を考えているのか、だと・・・? 自転車に乗っているときはみんな無心にペダルを踏んでいる、強いて言えば、最適な心拍数、ケイデンス、ペースを考え、己の体と対話しているんじゃないのか―――!? しかしそんな答えでは「2組の走る哲学者」の異名をとるまなぶの納得を得られるとは到底思えず、 俺はその場をごまかすために剛拳を繰り出した。 ドッゴォォォーーーン 「馬鹿野郎!そんなことを考えてるということはまだまだ鍛錬が足りん!!罰として白糸もう2本だ!」 今にして思えば、あの時の剛拳は、論理が破綻したことを相手に悟られまいとするだけの愚かで恥ずべき行為であった。今は後悔している。 この出来事がずっと心にひっかかっていたのだが、つい先日、山を前に補給をしているとき、ふいに今は亡きおじいちゃんが降りてきて、俺は悟りを開いた。 俺「じぃじー、ポッキーゲームしよ」 おじいちゃん「じゃあわしが右の鼻にポッキーを入れるから、つよしは左の鼻から出すんじゃよ」 今にして思えば、あれはポッキーゲームではなかった。 しかしおじいちゃんは、人生において大切なことを数知れず俺に教えてくれた大切な人だ。 俺は悟った。 自転車に乗っている間は、自転車に乗っているのだ。 それ以外は必要ないし、欲しいとも思わない。 しかしそれは何も考えない、何も生み出さないというわけではなく、今まで俺は意識してこなかったから気付かなかったが、無心にペダルを踏んでいる間にも俺の脳裏には何かが流れていたことに気がついた。 生まれてからこれまでの、今まで思い出さなかった出来事や、出会い別れを繰り返してきたたくさんの人たちとの思い出が。 そう、そのさまはあたかも山の向こうから現れては形を変え、消えていく雲のようだ。 確かにそこにあるのだが、次の瞬間には同じ形でなく、もうそこにはない。 自転車に乗っている時間というのは、すき間を何かで埋めたり、代わりの何かで置き換えたりすることのできない、俺の大切な時間なのだ。 |