最初と最後zutufu 2013-2-11 3:33 3618 hits zutufuさんのすべての写真 フォトギャラリーTOP 高校を卒業して、僕は大人になった気でいた。 しかし、実際はそうでもなく、経済的に免許も取れず、車も手に入るわけがないので僕は許狭い世界の中、電車賃のない世界でママチャリの、「自転車の限界」を勝手に決め、退屈な日々を過ごした。 お金という僕の足と、免許という許された者だけが持つ資格が僕を世界から疎ませた。 一浪し、晴れて大学へ入ることができた。 最初の友(は運命的な出会いだったが)、彼は自転車部に所属すると聞いた。 数か月、彼の話を聞くたびに世界がどんどん小さくなっていった。 「自転車の限界」はみるみるその姿を縮めていき、僕の世界を広くした。 そして、大学入学後、最初の夏。 その話を信じ、ママチャリで初めて60kmの旅をした。 電車を乗り継いでしか行けなかった場所に、僕の足だけで行けることが分かった。 疲れはしたが、自分のできることの可能性を強く感じた。 その時の感情は、僕の足は電車にも、バスにも、車にも並ぶことができたという喜びだったと思う。 お金の無い僕に見向きもしなかった文明の利器と並ぶことができるとわかった。 自転車が僕にくれた可能性だった。 そして、帰路の最後に出迎えてくれたのがこの風景だ。 坂を上りきった先に、夕日が爛々と、しかし慎ましく輝いていた。 静かに風は吹き、はるか遠くの山々が地平線に凹凸の表情を生み出していた。 暑さで噴き出た汗も、荒くなった息も、人口と言えど、雄大な自然の前には全て、報酬のように思えた。 疲れはどこかへ吹き飛んだ。 そうして数か月後、僕は初めてのスポーツバイク(クロスバイク)を買った。 時間はかかるけれどもさらに小さくなった世界は、また僕に新しい幸せをもたらしてくれた。 それから後、折り畳み自転車を買い輪行が楽になったことで、テクノロジーと共存することも、時間を大切にしながらも自転車の利便性を伸ばすせることもわかった。 MTBも手に入れ、すべての地面が道になることもわかった。 この場所は(ほぼ)、遠出の最初の景色であり最後の景色になる場所だ。 そして、僕にとってもっとも近い自然との接点である。 人口物は無論あるが、少なくとも、日の出から日没まで見渡せる場所である。 大好きな場所になった。 帰路にはここで足を止め、藍に染まる地平線を臨みながら、愛しい音楽たちに意味を与える。 遠出の帰りでなくても、少し時間があれば、夕陽を眺めにまたここへ足をのばしてしまう。 自転車がくれた 我が憩いの地 多摩湖についてのお話でした 完(厨二病) (ちなみに左が件のクロスバイク、右が増えたMTB、そして写真は最近のものから。本人は目線入り) |