購入価格 ¥2330+税
20数年ぶりに読み返したのですが、読み耽ってしまいました。
八重洲出版から出版された2006年の「イタリアの自転車工房物語」に対して、こちらは1994年版と言ってもよさそうな砂田弓弦氏の著作です。1994年といえば、スチール・フレームが主流の時代であり、ツールで連勝を伸ばすスペインのミゲール・インデュラインがピナレッロの高剛性アルミ・フレームに乗り始めようか、という頃で、アルミからカーボンへという、怒涛の変化が到来する以前、です。
2006年版では「3人の巨匠」という、やや芝居がかった感じのページがあり、続いて50音順に工房が紹介されます。記述も取材を活かしたもので、躍動感があります。1994年版では、「クラシックレース」の解説ページに続いてABC順に工房が紹介されます。「人」に焦点をあてた緻密な取材の上での記述というのは2006年版と同じですが、抑制が効いています。広告ページがない、ということも手伝ってか、地味な印象ではあります。
というわけで、よく似た書名の新旧2著作ですが、それぞれ個性がある作品です。
さて、2006年版は、サイクルスポーツで1996年から長らく偶数月連載された「イタリア自転車工房の旅」(ただし砂田氏名義のtextは2000年以降だったかと・・・)と、2002年から奇数月連載された「名選手と名車の物語」という、読み応え十二分の2連載を受けての一冊、という趣で、素晴らしいものでした。
2006年版→
https://cbnanashi.net/cycle/modules/newbb/viewtopic.php?topic_id=4642&forum=84ちょっと脱線しますが、1998年だったか、日本国内のビルダーを取材した菊池武洋氏の骨太連載「現代の匠」も始まり、前世紀末から今世紀初頭の月刊サイクルスポーツの充実度は結構なものだったと思います。
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1994年版の前書き(Prologo)にこんなことが書かれています。
引用>
(前略) 東京オリンピックを機に、日本にヨーロッパのロードレーサーが輸入されるようになった。だが本場の自転車競技は結局輸入されなかった。選手たちの本当の戦いを実際に見たのは、1990年に前橋と宇都宮で開かれた世界選手権が最初で最後という人が多いと思う。
そういったこともあって、ヨーロッパから輸入されてくる自転車に多くの日本人が興味を示したのはそのデザインや美しさであり、それらに乗る選手、そしてその後ろにある本当の自転車競技の姿はずっと海の向こうのものだった。
だが自転車競技の本場、ヨーロッパのファンがあこがれるのはチャンピオンの乗る自転車だった。興味の対象は“綺麗なチェレステブルーのビアンキ”でも“肉抜きされ、彩色されたコルナーゴ”でもなく、“コッピの駆るビアンキ”であり“メルクスがまたがるコルナーゴ”だった。(後略)
<引用終
自転車に携わる「人」が織りなすイタリアのロードレース、イタリアの選手たちが使うレーサー、彼らを支える人々、そういった「人」に魅了された著者が、イタリアに渡り、実際にこの目で確かめた、という静かな興奮が伝わってきます。例えば世界チャンピオンの自転車を手掛けた工房といえば、日本では世界選プロスプリント10連覇・中野浩一氏が乗った”nagasawa”のナガサワ・レーシングサイクルと、世界選ケイリンで金メダルを獲得した本田晴美氏が乗った”LEVANT”の東川製作所だけでしょう。ある朝のNHKニュースのトップ映像が、眩く輝くバンク上を疾走する中野選手! というのが当時の世界選の時期の風物詩でした。(余談)
1994年版の後書き(Epilogo)では、なかなか厳しいことが書かれています。
引用>
(前略)つまりイタリア車の魅力というものは、自転車そのものよりも、それを作っている人間の魅力だと思う。今や日本の自転車だって世界にまったく引けをとらない素晴らしいものだ。しかし決定的に違うのは、自転車を作る人たちの自転車競技への情熱だ。イタリアで自転車を作っている人たちは、皆とにかくレースが大好きだ。(中略)
だからちょっと大袈裟かもしれないけど、日本とイタリアで車輪が2個付いた同じ形をしたものが作られても、僕には全く異質なものに思えるのだ。(後略)
<引用終
一方で、2006年版の前書きからは、取材を通して著者が職人たちから学んだことの重さが推し量られ、後書きは、冷静な現状分析と、将来に思いを馳せる著者の心情が推し量られるものでした。というわけで、前書きと後書きを比較すると、その表向きは1994年版と2006版は大きく異なります。1994年版時点での砂田氏の心象を、この時の前書きと後書きに見る気がします。イタリアのロード環境への憧憬と、自分がその現場で働いているという充実感、そして若さゆえの激発するロマンティシズム。本文こそ抑えた表現ですが、1994年版の前書きと後書きで著者の情熱が迸ります。
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ジャパンカップの現場で遭遇する、二輪後席にまたがって撮影する最近の氏の姿にはかなりの凄み、仕事人(職人)としての威厳と風格が感じられますが、この本を物した頃はまだ33歳。1990年代半ばに情報番組でTV越しに拝見したときには、少し恥ずかしがりやの好青年という雰囲気さえ漂わせていましたが、そのTVを観て、「へぇ~、想像していた人と違う・・・」と思ったものです。(完全に脱線)
今までの氏の発言を振り返ると、情報通信機器に依存せず、競技者の力と判断力で戦いを進める人間臭い昔のレース・スタイルが好きなようですが、そんな砂田氏が書く文章には裏方も含めたレース当事者たちへの熱い眼差しがあります。2006年版も素晴らしかったのですが、1994年版も勝るとも劣らぬ味のある一冊です。楽譜ではありませんが、砂田氏著作の「原典版」と言ってもよいかも知れません。
1994年版と2006年版。
この2つの作品から推し量られるのは、イタリアの自転車競技の歴史の重み、素晴らしさ、そして自分の仕事に誇りを持ち、10代の頃から寝食も忘れて腕を磨き、一生懸命に働くことでレースを支えてきた、裏方としての「職人」に対する砂田氏の畏敬の念と、彼らの境地に達したいと努力を続ける氏の情熱、です。
それぞれの「職人」が生きてきたそれぞれの人生を淡々と記述する1994年版。
惹き込まれます。そして、行間に垣間見える砂田氏の人となりにも魅了されます。
価格評価→★★★★★
評 価→★★★★★
年 式→1994
残念ながら入手困難です。AMAZONで調べたらとんでもない中古価格がつけられていました。図書館などで発見したらぜひ、ご覧ください。
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1970年代後半と1980年中盤の月刊サイクルスポーツには、欧州レースカメラマンの草分け、三宅寛氏による工房探訪の連載がありました。そして1990年代以降の砂田弓弦氏の連載。これらは「人」に焦点をあてたものでした。
・・・例えばGIANTやTREKなど、規模の大きいモダンなメーカーの開発現場は恐らく、各カテゴリの製品プロジェクト・リーダーの元、社内で名の通ったエース級の設計者たちを中心として強度・空力・操安・振動特性などの各種解析や設計を分業で行い、製造部門も個人属性としての品質管理から脱皮して、製造工程を形式知として整備し、よく教育された従業員を配置し、適地生産を可能とする技術移転を常に意識したドライな開発・生産を行っていることでしょう。造り手たる「人」がユーザから見えにくくなっています。それはある意味、時代の流れで、大量生産オペレーションが通る道でもあり、別に悪いことではありませんが、造り手たる「人」が見える自転車づくりの文化が途絶えたとしたら、それはあまりにも勿体なく、気味の無い話です。何もかも完全に自由化すれば均一化されてある意味、高品質なものが溢れるようになるでしょうが、それが一体、どこのだれにとっての幸せなのか?とも思います。大資本が「演出」する「見せかけの多様性」が幅を利かせ、「真の多様性」が衰退した世の中は退屈でつまらないだろうな、と想像してしまいます。
(脱線に次ぐ脱線失礼シマシタ)