ガリビエ峠は、フランス・グルノーブル近郊にあるドーフィネ・アルプス南域に位置する、標高2645mの峠です。
ツール・ド・フランスのアルプス超えステージにおける定番の難所として知られます。
北はテレグラフ峠(Col du Télégraphe, 1565m)、南はロータレ峠(Col du Lautaret, 2058m)から登ることになる峠です。
2011年ツール・ド・フランスでは、初めてコースに組み入れてから100年目の記念大会として、
初のガリビエ峠頂上ゴールが設定されました。
90年初頭、ツール・ド・フランスの生みの親であり、その運営に携わっていたアンリ・デグランジュ(Henri Desgrange)は
特にこの峠を好んでおり、二次世界大戦まで毎年必ずコースに組み込まれていました。
当時は峠の頂上はなく、2556m地点のトンネルで峠を越えていたようです。
選手達は峠までの長い坂を、ギアすら付いていない自転車で越えていました。
1911年ツール・ド・フランス、ガリビエ峠を含むコースを走りきったギュスタヴ・ガリグー(Gustave Garrigou)が
レース後のインタビューで語った言葉が、いかにこのコースが過酷だったかを物語っています。
「こんなコースで俺たちを殺そうとしてやがったデグランジュの奴を呪っていたよ。すてきな夏休みだぜ!」
現在はトンネルの上にさらに道が築かれ、トンネルを通過することはありません。
こでまでツール・ド・フランスを振り返ると、ガリビエ峠がステージゴール地点として設定されることはほとんど無く、
ラルプ・デュエズなどへのコースの途中に登場するため、この峠自体がレースを決めることが多いとは言えません。
しかし、この峠が設定されるコースは重要な山岳ステージにもなるため、試合を決めるアタックがかかることもあります。
近年で思い出されるのは1998年ツール・ド・フランスにおけるマルコ・パンターニ(Marco Pantani)です。
降雨の中のこの峠でアタックしステージ優勝も飾ったパンターニは、マイヨ・ジョーヌも獲得、
結局シャンゼリゼまでこのジャージを守りきり、ツール・ド・フランス初優勝となりました。
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標高1460mほどのラ・グラーヴ(La Grave)のホテルのベランダに出ると、アルプスの澄んだ冷たい空気が体に染み込んできました。
正面には標高3983mのLa Mejieが見えていました。
この辺りの朝食はどこもフランスパン、クロワッサン、それにコーヒーとオレンジジュースの組み合わせ。
ジャムやマーガリンをたっぷりと塗ったパンを食べながら、静かな朝のひとときを過ごしました。
朝9時にホテルを出発しました。
D1091はグルノーブル(Grenoble)とブリアンソン(Briançon)を結ぶ主要道路であり、
東向きに走っているため、眩しい朝日に向かってゆくことになります。
峠の標識を見るといよいよガリビエ峠に行くんだと実感させられます。
OUVERT、つまり通行可能であることを示しています。
涼しく交通量も多くないのはいいのですが、向かい風が吹くのでゆっくりとしか進めませんでした。
ちょうど私と同じくらいのペースで、中年夫婦?のサイクリストが走っていました。
自転車が文化に息づいていることを感じる瞬間です。
空は青く、自分のすぐ近くを真っ白な雲が流れていく中を走るのは爽快。
ラ・グラーヴから11kmで標高2058mのロータレ峠に到着。
峠のカフェには赤い水玉と黄色の巨大な自転車が飾ってありました。
ガリビエ峠へはここからさらに8km登ることになります。
標高や勾配が書かれてあるサイクリスト向けの標識が1kmごとに設置してあります。
勾配5~8%の峠道は森林限界を越えているため見晴らしがいい。
山が近く、雲を見下ろしながら走ると、雲の上を走ってるような気分にさせられました。
峠を越えるトンネルのすぐ手前には、アンリ・デグランジュの記念碑がありました。
また、トンネルの目の前にある店の人が来て、
「日本人か?」と言って私と私の自転車の記念写真を撮ってくれました。
そして別れ際に「(日本語で)ありがとう」と言ってくれました…何故?
トンネルから峠への道に入ると、勾配が急になってきます。
特に峠のすぐ手前が最も急であり、標識では12%もの勾配になっていましたが、「もう少しで峠だぞ!」と自分を励ましながら走りました。
ガリビエ峠登頂。
峠からの壮観に、ここまで登ってきた疲れも吹っ飛びました。
振り返ると、ずっと登ってきた道も見下ろせます。
標高2645m地点はさすがに涼しいを通り過ぎて寒かったです。
東洋人が来るのが珍しいのか、写真を撮られました。
ペットボトルの冷え切った水を飲みながらちょっとした達成感に浸りながら休憩していると、
多くのサイクリストが次々と登ってきました。
防寒対策をして、北側へと下りました。
登りもでしたが、ガードレールが無いのは怖かったです。
漕がなくてもすぐに、吸い込まれるようにスピードが出る道を、たまにある路面の粗さに注意を向けながら下りました。
民家が見えてくるころには随分と暖かくなってきました。
スキーリゾート地であるヴァロワール(Valloire)では迷いながらもなんとかテレグラフ峠への登りを進み、
標高1565mのテレグラフ峠からはさらに12kmほど下ります。
ここまでくると林の中を進む道となっていました。
ガリビエ峠から距離35km、標高差はおよそ2000mの道のりを下り、到着した標高700mのサン・ミッシェル・ド・モリエンヌ(Saint Michel de Maurienne)からは次の目的地イズラン峠に続く道へ。
L'Arc川沿いの緩い登り基調の道を走り、モダーヌ(Modane)に到着するころにはどうも雲行きが怪しくなり始めたので、宿を探しました。
泊まることになったホテルに自転車を預け、町を歩き回り食料などを買っていると、雨が降ってきました。
ところで、モダーヌにあった小さな店にTofuやShoyuという馴染みのある名前をした商品があったのには驚かされました。
景観→★★★★★
登坂距離→★★★★★
平均勾配→★★★☆☆