購入価格 ¥1,575
久しぶりに良書を読んだ。
「ランドナーが好きな懐古趣味のおじさんが自転車偏愛について語った本」という一言では片付けられない。はっとする洞察に溢れた本である。文章が実に読ませる。最初、間違ってアンドレ・ブルトンとか渋澤龍彦とかロラン・バルトの本を買ってしまったのかと思った。とはいえ渋澤龍彦ほどジメジメしてはいないし、谷崎潤一郎ほどドロドロしてもいない。フェティッシュがテーマの本にしては、嫌味がない。バルトのように、品がある。音楽で言うなら、フランシス・プーランクの室内楽のようだ。
23ページや28ページの写真を見ると判るが、著者は人として終わっている可能性がある(アルミの寸胴鍋にタマネギとクランクを入れたり、皿の上にニンジンとクランクを並べた写真)。モニターの前のそこのあなたは決して真似しないようにしよう。
この本が「洞察に満ちている」というのは、どういうことかというと、たとえば「クランクは自転車の顔」といった紋切り型に対し、確かにクランクは顔のようでもあるが、心臓という身体器官にも似ている、といった著者の視点のことで、こうした洞察は対象への愛がないと普通は出てこない。本書は、こうした魅力的な洞察の宝庫である。
テールライトやテールリフレクターについての章、「後ろ姿への視線」はこんな文章で締められている。
「後方からの視線には、そもそもそれに興味や関心を抱いているというオーラが含まれてはいないだろうか。気になるから、好きだから、愛してしまったから、それが去り行く姿を魂に焼き付けずにはいられなかったのではないだろうか。
だとしたら、後ろ姿を眺めるとき、より感情移入が激しくなるというのも、わかる。菱川師宣の「見返り美人図」にも、そういうものを感じるのである。後ろからの視線には、羨望があり、憧憬があり、切なさがある。
だからといって、人の自転車を尾行したりしてはならないが。」
いやはや、大変な文章家である。いかがわしい美文の類ではないし、極端に精緻というわけでも、論理構築性が高いといわけでもない(そうした力量もおありだとは思う)。偏愛と、自らの偏愛からの気付きが、著者に驚くほど魅力的な文章を書かせているのである。テールランプをぼんやり眺めながらこんな文章が書けるようになったら、人としての社会生活に支障が出るような気がしてならない。
とにかく良い本であった。「あとがきに代えて」の最後の二行には驚いた。溜息が出た。
価格評価→★★★★★
評 価→★★★★★