購入価格 ¥1600+税
これは自転車への依存症を発症してしまう人々の生態を考察しつつ、著者自身の自己治癒の試み、もしくは開き直りを記した本です。
各章はこんな風。
第1章 自転車が増える!
第2章 自転車を減らす!
第3章 出力過剰症候群(OPO)
第4章 坂野郎の詩
第5章 自転車いじりの深き森
第6章 私のオーダー顛末記
第7章 六輪生活者たち
第8章 自転車光学研究室
第9章 銀ですが、鉄ですか
第10章 サイクリストの清らかな夜
第11章 やがておかしきサイクリスト
これを眺めただけで勝手に身に覚えがあると思いこみ、書かれている内容を勝手に想像し、なにやらクラクラ来てしまう人は既に、自転車への依存症を発症し、その沼から這い上がろうにもなかなか這いあがれない自分に多少の自己嫌悪を感じている、いえ、悦びを感じている方かもしれません。
各章で自転車乗りならでは、著者ならではの創造力に満ちた論考が展開され、自転車への依存症を呈する人々の様や著者自身の告白が語られます。また、文系出身のはずの著者は「膨張宇宙」とか「フィードバック」といった理系タームを効果的に使い、説得力のある文章に仕立てることに成功しています。そして、ハードボイルドっぽい語りと早合点してしまいそうで実は、そうではない。「男として」みたいなジェンダー的ステロタイプ思考が見えそうで見えないのが白鳥氏の論考。内容が実に愉快で面白いうえに、そんなわけですから実に(実は)爽快な書物です。
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この類まれな症例解説本。あまりにも面白く、また考えさせられることも多いのですが、これはもう、読んでいただいた方が早い。
というわけで、章立てを見て身に覚えのある方に、この本をお薦めします。
価格評価→★★★★★
評 価→★★★★★
年 式→2006
以下は全くの蛇足的脱線。
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≪第1章 自転車が増える!≫の中に次のような一節があります。
引用>
(前略)車種を問わず、自転車を組みあげる行為はやはり面白い。かつて模型少年だった世代はなおさらだろう。模型と違うのは、それに自分が乗ることができるということだ。(後略)
<引用終わり
同感です。模型に限らず身近なものを使って色々と自作することが小さいころから性に合っていた私としては(まあ、むしろ貧乏ヒマなしだっただけですけど)、自転車を組むという行為はごく自然です。スポーツ車に乗り始めたときに、ハンドメイド自転車が全盛だった、というのは運が良かったかも知れません。あの時から、「完成車を買う」という発想は、思い出そうとしないと思いだせないモノになってしまったのかも知れません。
さて、先ほどの引用文を次のように書き換えてみます。
和洋を問わず、服をつくる行為はやはり面白い。かつて着せ替え人形で遊んだ世代にも当てはまるかもしれない。人形と違うのは、それを自分が着ることができるということだ。
相当に強引ではありますが、別にこんな書き換えなどせずとも、何かを創造する行為は、男とか女とかは関係なく、好きな人は好きなんですよね。自転車を組みあげることは時に、少々大きめの力を要するとはいえ、工具を選び、センスを磨けば、当然のことながら、女性が立派に活躍し得るジャンルです。となると、少なくない女性がロードバイクにも乗ってしまう今時、自転車店に女性店員が少々、少ない、と思うに至るわけです。女性サイクリストは今後も逓増していくでしょう。自転車組み立ての現場で働いたり、いろいろアドバイスしてくれる女性店員が増えるとステキだと思います。さらに、客を選ばずタフに対応する女性店員がいたりすると、いいですね。データや自身の実体験をもとにアドバイスしてくれたりするとさらにカッコイイ。多分、これから確実に女性店員が増えていくと思います。
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≪第1章 自転車が増える!≫に対して≪第2章 自転車を減らす!≫なのですが、つまり、台数が増え過ぎて大変なことになりがちな人が、如何に台数を適正化していくか、といったことが第2章で論じられています。
それにしても、自転車台数が増えちゃって困ってる人って、いるんですね。自然と、全然乗らない自転車も増えてしまう。何とか理由を探して台数増大を許容し、増え過ぎると今度は、何とか理由をつけて台数減らしを試みる。残念ながら、私の周りにはそういうすごい人は見当たりませんが、ハンドメイド沼にはまっている方の中には、そういう人、いるのでしょう。しかし、スポーツ自転車に占めるハンドメイドの割合がA%ならは、増えすぎて困っている人というのは、さらにそのA%程度だったりして?つまりA=2%ならば0.04%とか。
こういう話を見ると、私なんか何とまあつつましい自転車生活者なのか、と思ってしまいます。最初のロードこそ事故で廃車ですが、その後の31年間で入手したロードはたったの3台。しかも全て現役バリバリで走っています。なぜ乗り続けているのかと言えば、それは、3台それぞれの個性を気に入っていて、それぞれが乗って楽しいから。気に入らない自転車には乗らないし、その前に
「乗りたくないような自転車は手に入れない、造らない」
「乗らない自転車は持たない」
というのが、あまり意識したことはないのですが、どうも私の考えのようです。眺めて楽しい自転車は、その自転車で走ってこそ、とも思います。これに沿っていくと、よほどのことがない限り、新しい自転車を購入することもないし、使うあてもないパーツは買わないわけです。その結果として手元の3台のロードの車齢を全て足すと60歳。こんなことになってしまったのは、職業人になる以前の貧乏暮らしが原因なのでは?と思っているのですが、違うかな?
いずれにしても、この本の章立てを見てビビッと来てしまう類の方の中には、「台数が増え過ぎて大変なことになり・・・台数を適正化していく・・・」的なプロセスを経る方もいらっしゃることでしょう。
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≪第3章 出力過剰症候群≫の序盤に、
引用>
(前略)だから、健康のために自転車に乗りましょう、などと厚生労働省や文部科学省が言ったりしたとすれば、ふん、と鼻を鳴らしたくなるのである。そういうことを言うやつに限って(後略)
<引用終わり
というくだりがあります。
大いに同感。「私はエコな乗りモノである自転車の愛好家です」という顔をする方々に違和感を覚えるわけです。自転車が注目され、様々な斯界に棲息する著名人たちが自転車に乗り、「私は環境の味方である自転車の愛好家です」と言いたげな顔をメディアに晒している様を見ると、自転車ってのは著名人にとってはある意味、好都合な嗜好なのかな?などと悪態をつきたくなってしまいます。反面、遥か昔からの自転車通人で、20年少し前に砂田弓弦氏の案内でミラノショーを取材し、エディ・メルクス氏にインタビューしたこともある、なぎら健壱氏あたりは、「オレはもういいかな」と言う感じで、表立った活動に引っ張り出されても遠慮しているようにすら見えます。(気のせい?)
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≪第4章 坂野郎の詩≫の中で、著者と坂の街、信州は飯田の関係が語られています。
引用>
(前略)坂の街、飯田とその周辺だった。人生に物語やドラマがある、と言っているのではない。逆なのだ。何かの糸を持つようにしか思えない時間の流れや弾道のなかに、人の生というものは置かれているらしい。それはしかし固定化されておらず、時間、空間、人間といった要素でいくらかは記述ができるファクターのなかで、刻一刻とその振る舞いを変化させているように見える。 <引用終わり
少々引用が足りず、雰囲気が伝わらないのですが、前後も含めてこれは不思議な文章でした。学生時代に知った不思議な数式 「オイラ―・ラグランジュ方程式」に対して抱いたような感覚と似たようなものが湧きあがってきました。実に不思議な感覚です。(スミマセン詳細は省略!)
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≪あとがきと謝辞≫に著者の考えは表出しています。
引用>
自転車は目的ではなく手段であり、自転車に乗ってくれる人が増えることで、ちょっとは世の中が住みやすくなるといいよな、というような考えが私にだってある。でもその半面、世の趨勢がどうであろうと、人がなんと言おうと、そこに自転車と道と身体がある限り、俺は乗り続けてやるぞ、という思いもある。(中略)
大人になるのか、自転車馬鹿に徹するのか、人はいつまでも子供でいるわけにはいかないし、かといって、いつも良識家でいようとすることほど、ばかばかしいこともない。ま、どっちかに落車して起き上がれなくなることだけは勘弁してもらって、へらへらしながら右に左に車体を傾けていればいいじゃないか、と思う。自転車の道楽には、こうでなきゃならない、なんてことはないはずだ。
<引用終わり
これはあと書きのごく一部ですが、全く同感です。潔いではありませんか。
「自転車の道楽には、こうでなきゃならない、なんてことはない」
のですね。そうですよね!!
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そこかしこに白鳥氏独特のフィールド(場)の力が作用する不思議なエッセンスが溢れる、楽しい本でありました。この本を著わすことで著者自身が自己治療しているのではなかろうか?とすら思える白鳥氏渾身のこの症例解説本は、痛快にして深遠、でした。
※このレビューは書評の体をなしていませんが大目に見てやってください