購入価格 ¥定価(捨ててしまったので不明)
月刊「サイクルスポーツ」誌では菊池武洋氏という人がロードバイクのインプレを寄稿したり、連載を持っている。この菊池氏についてはまず以下のGlennGould氏による、教育的愛情溢れるレビューをご一読いただきたい。
https://cbnanashi.net/cycle/modules/newbb/viewtopic.php?topic_id=4494&forum=84さて、実は私も菊池氏の文章が嫌いではない。なかなか文章力もあるし、読ませる。ただし内容は様々な方がご指摘されている通り、何を言っているのかさっぱりわからないことが多々ある。しかし、私が菊池氏の文章を読むとき、私は文章の内容にほとんど注目していない。文章それ自体を楽しんでいる。つまり「サイクルジャーナリスト」としての菊池氏の文章ではなく、「なにかヘンな感じの人」としての菊池氏の文章を読むのである。今月はどんな意味不明な文章が、玉虫色の符牒が飛び出すのかな、と、ワクワクしながら読むのである。
ただし、こうした愉楽は一種の退廃であり、実はあまり健康的なことでもない。なぜならそのように菊池氏の文章を読む私は、菊池氏を尊敬しているとはいえないからである。考えてみよう。ことによると、菊池氏は一生懸命、スポーツジャーナリストとしての責任を全うするという自覚を持って「自転車バカ一台」というコラムを書いているのかもしれないからである。だとするなら、端からその内容の真正性など捨ておいて文章の表層のみを愉しむなどという行為は、たぶん許されない。だが、それは間違いなく杞憂であろう。
さて、菊池氏が月刊「サイクルスポーツ」誌で持っている連載は「自転車バカ一台」というタイトルである。もちろん、「空手バカ一代」をもじっているのであろう。こんなタイトルなのだから、自転車が好きで好きでたまらないという男が、好きな自転車について思いの丈を語る、という内容であるに違いない。菊池氏はこのコーナーで毎月、任意の自転車について味わい深い文章を綴る。毎月さまざまな自転車が取り上げられる。ジャイアントのリカンベントタイプの自転車であったり、菊池氏の友人であるアメリカ人がデザインした、フランスの地名を持ったクロモリバイクであったり、フレーム価格84万円のLOOK596であったり、実に様々なバイクが登場する(なお、Rambouilletはカタカナにするなら「ランブイエ」が近い。菊池氏は他のタイヤインプレでもFMBの高級チューブラータイヤSOIEを「ソワエ」と記述しているが、これも「ソワ」が正しい。別に外国語のスペシャリストではないのだから仕方がないが、カンパの電動メカを得意気に「カンビオ・エレクトロニコ」などとパラフレーズする余裕があるのなら、自転車「ジャーナリスト」としては正しい製品名を記載する努力をすべきであろう)。
私は2008年11月号の「自転車バカ一台」を読むまで、菊池氏が果たして一人の自転車バカとして、自分が気に入ったものについて書いているのか、それともメーカーからの依頼を受けていわゆる「提灯記事」を書いているのか、確信が持てないでいた。恐らく両方のケースがあったのだろう。あるいは一種の「中間地帯」で筆が運ばれていたことが予想される。「中間地帯」とは、たとえばメーカー側に宣伝してほしい商品があり、それが菊池氏のテイストともある程度マッチしているような場合、菊池氏が自らの文才を発揮しつつ、居心地良く文章が書けるようなケースである。
私は「ライター稼業」の過酷さを少しだけ知っている。銭を稼ぐためには奇麗事だけではやっていけない。題材を与えられたら、それについて読み応えのあるおもしろおかしい文章を書かなくてはいけない。仕事なんか選べない。一度仕事を断ったら、依頼が来なくなる。するとメシが食えなくなる。ということを過去にライター業の友人の口から聞いたこともある。よかろう。「ライター」の仕事がそうであるというなら、私は否定しはしないし、むしろ題材を選ばずいかようにも料理できてしまうそのプロフェッショナリズムを尊敬する。ただし、それは「ジャーナリスト」の仕事ではない。また、職業意識の高いライターが「ジャーナリスト」の肩書きを持つことはないし、逆もまた真であろう。リリー・フランキーはたぶん、ライターだろう。立花隆はたぶん、ジャーナリストだろう。大江健三郎はたぶん、小説家だろう。三人とも、同じジャンルにくくられるのはたぶん嫌がるだろう。
2008年11月号の「自転車バカ一台」を読むまで、私はたぶん菊池武洋氏という人が、「ライター」なのか、「ジャーナリスト」なのか、判断がつかないでいたのだと思う。そして11月号の連載である。キャノンデールのRAWというバイクが紹介されていた。これはキャノンデールがとあるアパレル会社と共同企画した20台限定のMTBである。キャノンデール伝統のヘッドショック、シマノ・アルフィーネの8段変速などを搭載した、ちょっとミリタリーっぽいバイクである。勿論、悪くない。私はミリタリーマニアではないのでわからないが、好きな人にはたまらないものなのかもしれない。とはいえ、販売価格は¥399,000である。この11月号での菊池氏の文章は、実は私の記憶にほとんど残っていない。雑誌自体も、あまりに退屈だったのかすでに捨ててしまったらしい。そのため氏がこのバイクを題材にどんな文章を書いていたのかは思い出せないのだが、写真だけはよく憶えている。たしか「ストリートが良く似合う、大人の街乗りMTB」みたいなコンセプトで、「RAW」というボマージャケット(もしくはスタジャン)を着た菊池氏がRAWを持ってカッコつけている写真があった。モノクロというかセピア調というか、ちょっと変わったカラーの写真だった。また、「こんな格好でこんなふうにこのバイクに乗る人は一人もいないだろうな」と思わせるような非現実感の漂う写真であったように記憶している。
それを見たとき、私の中でずっと「もやもや」していた何かに対して、爽快な回答が与えられたのだった。それは次のようなものであった。「なんだ。この人はライターなんだ。『ジャーナリスト』などと紹介されているから、俺はこの人の立ち位置がわからなかったんだ。」
ライターとはつまり、仕事のためなら題材を選ばず、与えられた題材をおもしろおかしく如何様にも料理することができるエンターテイナーのことである。菊池武洋氏は優れたライターであり、エンターテイナーである。たぶんあまり売れない企画モノバイクについて何か書いてくれと頼まれたのであろう。2009年1月号のLOOK 595についても、たぶんそうなのかもしれない。GIANTのセミリカンベントが登場したときは、「この人はこんな自転車にも興味があるのか。意外に懐の広い人なのかもしれないな。」などと思ったものだが、それは恐らく誤った印象であろう。彼はただ題材を与えられているに過ぎないのである。
過ぎないのである。と断言してしまうのは、フェアではないかもしれない。しかしそのように思われても仕方がないところはある。なぜなら、菊池氏は12月号の「現場密着!じてんしゃ仕事人」において、「常に読者目線」であることを大切にしていると述べているからである。
月刊サイクルスポーツ誌の巻頭連載コーナーで、RAWのボマー・ジャケットに身を包み、20台限定の¥399,000のアルフィーネ8段変速のキャノンデール・ローを紹介する。あるいはフレーム定価84万円のLOOK596を、「ベントレーの見積書には値引き欄がない」という言葉とともに紹介する。これは「読者目線」であると言えるだろうか。もし菊池氏が「自転車バカ一台」に登場するバイクを「読者目線」で選択しているとするなら、彼がイメージしているターゲット・リーダーとは、まさに「自転車バブルに踊らされ、金だけは持っているが、あまり思慮深くもなく、真面目でもない消費者」であるように思えるが、どうだろうか。だとするなら、これはホッケが「主に焼かれるもの」であることを知らなかった日本国首相の、庶民感覚のなさに近いものがないだろうか。
菊池武洋氏がいろいろなかたちで批判され、同時にいろいろなかたちで期待も寄せられたりするのは、氏が「ライター」と「ジャーナリスト」のあいだで揺れ動いているからであろう。
情報を発信・伝達する職業は、数多くの下位分類を持っている。小説家。アナウンサー。ライター。ジャーナリスト。「メッセンジャー」というのもある。右から左に情報を渡すだけの職業のことである(注・自転車便のことはここでは考慮に入れていない)。つまり、言われたことをそのまま伝える役目、言うなれば「ガキの使い」である。情報を正確に伝達するという点で、「ガキの使い」は非常に重要な使命を帯びている。「ガキの使い」などという表現は失礼だ。それはそれで結構大変で、責任の発生する仕事である。「走れメロス」におけるメロスはメッセンジャーであった。時には死を伴う、ハイリスクで責任の重い仕事となることもあるのだ。与えられた題材を選り好みせずに、「読ませる」文章に仕上げるライターの仕事も、プロ意識が要求される仕事である。自ら収集した「データ」を分析し、解釈し、意味のある「情報」へと統合し、一つの「知」へと昇華して発信するというジャーナリストの仕事も、同じように困難な仕事である。どれも、職業として素晴らしい。職業に貴賎なしとはよく言ったものである。しかし、自称・他称ジャーナリストで、実際はライター的な立ち位置で文章を書いて、私は読者目線で仕事をしています、と言ってのける菊池氏。文章は読んでいておもしろいのだが、残念ながら、職業倫理があまり感じられない。
そこで私も思うのだが、ここらで一発、本気のサイクルジャーナリストとして心機一転、2009年度から生まれ変わってみてほしい。おもしろい文章を書く。行動力もある。仕事に対する情熱もありそうだ。連載やインプレはサイクルスポーツの、たとえば吉本司氏といったライター諸氏の文章よりも、よほど読んでいておもしろい。だから私も将来に期待している。
・・・と、ここまで書いてふと思ったことがある。--菊池氏は、たとえば11月号の「自転車バカ一台」のような記事について、内心、次のように考えていなかっただろうか。
「どうだ君達。わかるだろ。ライター稼業も大変なのさ。仕事なんか選べるものじゃない。キャノンデールのRAW。俺は普段こんなバイクに乗らない。悪くないバイクだが、¥399,000の価値はとてもないと思うし、自分でも買わない。でも、わかるだろ。これが大人の事情ってやつなんだ。RAWのジャケットも着て、ちょっとおちゃめな写真を撮ってみた。シャレなのさ、この連載は。提灯記事のような、メーカー広告のような、コラムのような、批評のような、よくわからないこのコーナー。わかってくれよ。こんな文章を書くのも、結構大変なんだよ。」
もし、上記のようなニュアンスを示唆する意図があったのなら、それはあまり適切なコミュニケーションではなかろう。それではサイクルスポーツの読者をバカにしすぎていることになる。「つーりんぐムサシ」ではカメラマンが自動車で追尾することもあるようだが、オヤジ二人はあくまで自走にこだわっているとのことである。つまりズルをして自動車で移動したりはしていないらしい。たぶん本当だろう。少なくともあの二人は、「わかるよね。大変だったから自動車で移動することもあるよね。」みたいなことを匂わせたりは、しない。だから、たぶん上の私の疑問も、考えすぎだろう。菊池氏がそんな甘ったれた態度で仕事をしているわけがない。単に軸が定まっていないだけなのだ。だからやはり、今後に期待することにしよう。来年はきっとパワーアップした菊池武洋氏の文章が読めるに違いない。そう信じて待つことにしよう。
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