購入価格 ¥1,575
評判が良いので読んでみた。
ちなみに俺は小説にはちょっとうるさい。
不思議な読後感(余韻)のある小説で非常に好感が持てた。
特筆すべきは、「犠牲」というやや暗鬱な印象のある重めの主題を扱っているにもかかわらず、抑制された描写と軽目のスタイルで短編的に仕上がっているところだろう。
厳密には短編というより中・長編小説の特徴を構造的に有していると思うが、200ページ以上を読んでも非常に「軽い」(良い意味で、である)印象を与える。
読んでいる途中にはもっと描写が欲しいと思うことが多かったが、読み終えてみるとその「少ない描写」が逆に作品の「軽やかな印象」に貢献していることを知った。「自転車」を主題として扱うことはそれほど難しいことではないと思うが、「読む」という体験そのものを「自転車に乗っているような軽さ・気持ちよさ」に導くには、大変な力量・技術が必要になるはずで、その一点のみにおいてもこの小説は十分に成功していると言えるだろう。
伝統的な「成長物語」にミステリーテイストが加えられているが、「成長物語」のテイストを持っているミステリーではない。
そのため、「ミステリーとしては物足りない」という意見はあまりフェアではない。ライトノヴェル的なスタイルとも言えるが、ライトノヴェルの範疇に押し込むこともできない。こうしたジャンル横断的な、分類が難しい作品は多くの場合いつも魅力的な作品であることが多いが、この小説もまた例外ではない。
メインの主題はやはり主人公・白石誓が「勝つ」ことの真の意味を理解し、「勝つ」ことに伴う重圧や責任といった「重さ」を克服していく点だろう。この概念的な「主題」は、「ヒルクライム」という「重力を克服する行為」ときれいに重なり合う。主人公を「スプリンター」ではなく「ヒルクライマー」に据えた点は、だから正解である。「重力」と戦うヒルクライムと、それに必要な「身体と自転車の軽さ」という小説のパーツには、「重さと軽さ」という副主題が巧みに隠されているのである。袴田の事故の真相という「重い秘密」を自分だけで抱え込むのがイヤな白石は、伊庭にもその秘密を共有させようとするが(小説内でそれは「厄落とし」と呼ばれている)、これもまた「重さから軽さへ」というテーマと繋がるものだ。
ストーリーや登場人物の設定、舞台など、どれも恣意的に(適当に)設定されている気がしない。全てが有機的に絡み合っている。この複雑で有機的な流れはそのまま「ロードレース」の暗喩ともなりうるだろう。
また、「サクリファイス」という主題自体も何度か異なる意味を遷移していく。それはローラー台から見る「固定された視界」とは異なるものだ。自転車に乗っているときに景色が次々と変わっていくように、「サクリファイス」という大きな主題もまたその意味を変化させていく。
脇役も魅力的である。特に赤城は重要な登場人物である。というのも、赤城は「アシスト」としてしか走れない男だからである。彼は「アシスト」であることに徹し、その任務を全うすることでしか走ることができない。石塚の死の後、彼は引退してしまう。これは「アシスト」から「自ら勝ちに行くエース」へと次第に変化していく白石と好対照を成す。赤城は「成長する契機を持てなかった白石」なのだ。
他にも様々な印象を持った。ロードレースがなぜヨーロッパで人気のある競技なのか私は今までわからなかったし、今でもよくわからないのだが、恐らく人はロードレースのチームに「軍隊」の影を見てしまうのではないだろうか。アシストとしてプロトンを引っ張り、後方で待機するエースのために「兵隊として」戦う白石の姿を想像していると、勝てばいいのは「自分という個人」ではなく、「自分が属する共同体=軍隊=チーム」なのであり、自分の勝利がすなわち自分の軍隊の勝利、ひいては祖国の勝利を意味するのではないか、と妄想してしまった。
実際、「ヨーロッパのロードレースの激しさ・厳しさ」は小説内でも触れられており、それは「日本とヨーロッパ」というもう一つの副主題をさらに鮮明にする。小説「サクリファイス」は様々な点で「外に出る」ことを主題としている。それは白石がサントス・カンタンの選手から聞いた噂話から、ヨーロッパという「外の世界」のチームへの移籍を夢想したり(そして実際に移籍するが)、「アシストである自分」という自分自身の限界を超えて、「勝つことの意味」を真に理解し、恐れずにそれを掴みに行くもう一人の自分に向けて「飛び出していく」ことからも感じ取れる、魅力的な主題の一つである。プロトンから飛び出すこと、日本から飛び出すこと、かつての自分の殻から飛び出すこと、こうした様々な「飛び出すこと」が重なり合い、小説は進行していく。その姿は「飛び出せない男」である「オッサン・赤城」と対象をなす。チーム・オッジはどこかの日本の会社のようだ、と私は思った。権力に固執していると思われた管理職(リーダー)が、実は後輩想いであり、勝ち抜くことの意味と、自分の勝利の意味を知っている。赤城は魅力的ではあるが、恐らく窓際族というものに近いのだろうか。などと夢想してしまう。日本の社会や企業は一般に「チームプレイ」を大事にすると言われているし、恐らくそうなのだろうが、同時に、日本的なチームプレイとは共同体の「歯車の一つに甘んじる」ことを意味したりもする。赤城はその象徴ではないかと思ってしまった。
勿論、不満点がまったくないといえば嘘になる。登場人物がやたら「唇を舌で湿す」のが好きだったり、小学生の香乃を描写するにあたって「美貌」という言葉が使用されたり、「白石と伊庭はエフェドリン入りのワインを飲んだぞ」というようなセリフを車椅子に乗った袴田が石塚に言う時間はあったのか(小走りに隣を走りながら耳元で囁くならわかるが、時速7, 8km/hで上っているであろう石塚が、車椅子の上で動けない袴田のそのセリフを全て聞き取ったとするなら、設定に無理があるように思う)と勘ぐってしまったり、香乃が「新聞社の記者」になっていて、たまたま取材した男が袴田だった、という設定も若干の唐突さは否めないし、そもそもロクな女じゃねーなこいつ、とは思ったものの、それらは全て許容範囲内の不満に留まった。他の美点が圧倒的にこれらのマイナーな弱点を凌駕しているからである。
自転車やレースに関する情報もよく仕入れていて、とても上手な使い方をしている。私は「ケイリン」という競技で、「あいつはこのレースで負けたら今期はポイントが取れないから、総合的に成績のいい俺はこのレースを勝つのはやめておこう」という慣習があるらしいのは知っていたが、あまり心から納得はできていなかった。だがこの小説のレース描写や心理描写を読んで(たいした描写量ではないのだが)、そうしたケイリンの人たちの気持ちも少しわかったような気がする。また、「プライベートで使用しているバイクはカンパニョーロ・レコードで組んだタイムの自転車」などという一文に至っては、自転車好きなら一発でその意味がわかるものであって(要するにプロ向けの最高級の機材)、玄人が「おお。」と唸ってしまうようなものだろう。スペインの選手が「禁制品」の「ヌテラ」を食べているシーンも、よく調べているなあと感心した。それに、サントス・カンタンで走ることになる白石と、チーム・オッジに残る伊庭が、やがて日本で一緒に戦うことが示唆されているあたり、現実世界の「別府と新城」を思い浮かべてしまう。小説内で重要な要素として取り上げられる「ドーピング」も、時事的な話題と密接に関係しているものであり、この作品は本当にいろいろな意味で「運がいい」というか、「いい運」が重なりあって誕生したのではないかと思う。ロードレースに詳しくない人も、詳しい人も、どちらも楽しめる書き方になっているのが人気の理由の一つでもあるだろう。
この小説は、かつて流行した村上春樹的な世界とはまったく違っている。もし白石誓という主人公が、アシストである自分を超えられず、超える必要も感じず、屈折した「内省的・自閉的・母胎回帰的傾向を持つ主人公」だったとしたら、この小説は面白くはならなかっただろうし、読後の「さわやかさ」や軽快感は生まれなかっただろう。
この本は他にもいろいろな読み方ができる。ヒロインの香乃が袴田と結婚したという描写を見たときは「これはひどい展開だな」と思ったが、よく考えてみると、香乃は白石誓から陸上オリンピックの夢を奪ったのは自分かもしれない、という罪の意識に苛まれている可能性があり(袴田の言葉を信用すれば、だが)、その罪滅ぼし=贖罪のように袴田を愛しているようにも思えないこともない。もっとも、副主題となりうるこの蓋然的なテーマについても、「結婚した」ということ意外は全く触れられていない。それでいいのだろう。ものすごく大きく膨らむ可能性を秘めた小説なのかもしれないが、あえてこの「軽さ」と「薄さ」におさまったところ、おさめられているところが、この小説の魅力なのだと思う。
ただ、恐らくドストエフスキーや戦後フランスの小説家だったら、石塚がダウンヒルでブレーキを引く、まさにその瞬間にフォーカスを当て、魅力的な数百ページを書いただろうな、と考えると、思わずニヤニヤして夢想してしまう。この本はいろいろと想像させてくれる。それがまた楽しい。
大傑作ではないが、とてもいい本だ。
それはサイクリングや自転車が人生において「ものすごく重大なこと」ではないことに似ている。大それたものでなくともいい。
気持ちよければいいのだから。この本から多くの人が感じ取ったのは、「気持ちよくなること、軽くなること」という主題なのだろう。
価格評価→★★★★★(サイクル雑誌たった二冊分の値段ですよ)
評 価→★★★★★(雨の日にでも読んでみては)
<オプション>
重 量→ちょっと重いけど走りは爽やかなクロモリフレームみたいな小説かな