購入価格 ¥1,600+税
出版:光文社
自転車ロードレースを題材にした小説で、初出は小説宝石誌に2018年2月~10月に掲載された連載版になるようです。
ハードカバー版の発売が、2019年2月25日。
Web上の紹介記事などから、個人的に、ビビッと来るものがあったので、手に取りました。
なお、本作品について、作者である熊谷氏が寄せたエッセイが公開されていますので、どのような思いがこもった作品であるか、については、こちらに目を通してみることをお勧めします。
「すべては空気抵抗なのである。」BookBankサイト
https://www.bookbang.jp/review/article/563906●あらすじ
コンチネンタルチーム登録をしたばかりの新参ロードレースチーム、エルソレイユ仙台に、ベテランロードレーサー、梶山が移籍することになった。
梶山は欧州を中心に活躍した選手で、ツール・ド・フランスに8回出場するなど、日本ではレジェンド級の選手である。年齢などから、今季で引退の噂も流れていたが、なぜ、彼がエルソレイユ仙台に……。
そして、梶山の加入により、エルソレイユ仙台は大きく変化することになり、主人公、小林湊人も、その中で大きく変わっていく。
●感想
なるべくネタバレは避けますが、一部で混じるかもしれませんので、未読で、これからこの作品を読みたい、という方は注意してください。
物語としては、自転車ロードレースを題材に、若者の成長を描くという内容です。
作品の雰囲気的には、主人公の年齢的にも、近藤史恵氏の「キアズマ」に近い……ようで、遠いような気もします。
とりあえず、主人公の小林湊人が陸上競技からの転向組のロード初心者で、基礎体力は陸上で培った素地があるものの、ロードレースの戦略的な走りにはまだまだ戸惑いがある、という所から、物語はスタートします。
その後、梶山がチームに加入して、否応なく注目される立場となったチームとレースを通して、湊人が人間的に成長していく過程が主な内容になりますが……。
こう書くと、スポ根系な話になるのか、と思われるかもしれませんが、主人公の湊人の性格が、良く言えば「図太い」。
悪く言えば「天然」なので、どこか肩透かしを食らうような、そんな展開が多くあります。
重要なステージレースで、上位争いに絡めそうな成績なのに、それをちゃんと見ておらず、「じゃ、明日もアシスト頑張ります」と言って周囲を唖然とさせたり、レース前夜、緊張で寝られないと言いつつ、当日の朝は大寝坊したり……。
また、若者が中心の物語だと、人間関係、特に恋愛でドロドロ劇が発生する場合が多いですが、この話ではそういう要素は……ゼロではないですが、さらっと流れます。
いや、「以上未満」のはるか手前の段階かな?
ただ、この作品で特に目を引くのは、レースの展開に応じて戦略を再構築したり、ライバルチームをうまく利用し、潰し合う、という場面や戦略が詳しく描写されていることでしょう。
湊人はもともと、小説タイトルの通り、「逃げ」に乗ってレースをかき回すのが得意なタイプの選手でしたが、レースの中で、その得意とする走りができなかったり、逆にその性質を生かした戦略で勝負したり……。
この辺りは、実際に物語の中で、彼の心境の変化などを読み取っていただくのが良いと思います。
とりあえず、全体的にドロドロした人間模様でなく、「流動的に変化するレースの流れをうまく捉え、いかにして勝利するか」の展開の方に重きを置かれた物語です。
自転車ロードレースを観戦する気分で、気負わず、肩の力を抜いて楽しめる作品だと思います。
●個人的に刺さったところ
さて、この作品に対して、個人的にビビッときた部分ですが……。
主人公の所属するチームに「仙台」の文字があるのでおわかり頂ける通り、物語の主要な舞台が宮城県仙台市近郊となっていることです。
私は2011年~2018年の頭まで、仕事で宮城県仙台市に赴任していましたが、その期間は自転車趣味の幅が大きく広がった期間でもあり、自然、仙台近郊を中心に、色々な場所を走っていました。
その結果、作中に出てくる場所やコースの難易度や雰囲気が、本当に良くわかるというか、風景がすぐに頭の中に浮かぶというか。
序盤で出てくる「ガタケ」も、「あのガタケだよな」とわかってしまいます。
仙台近郊の自転車乗りの間では、この「ガタケ」のタイムで、お互いのヒルクライムの実力が分かってしまうくらい、定番のコースです。
関東で言えば、ヤビツ峠のような場所になるでしょうか(ちなみに、私はガタケは30分切りがやっとでした:笑)。
また、チーム練習で走っているコースは、ショップ朝練で走っていたコースです。「とりあえず水場まで」と言えば、どこまで走るのか、その距離と難易度がすぐに頭に浮かびます。
この辺りは、自転車小説で「箱根峠」や「尾根幹線」が出てきた場合、首都圏近郊の自転車乗りには、説明不要レベルで難易度や雰囲気が共有される感覚と同じです。
例えば、ガタケの坂の一部。
奥に見える急斜面を登った先に、
もっときつい直線の急登が待っている。
とにかく、自分の経験や記憶とシンクロする部分が非常に多く、それが仙台時代の思い出とシンクロして、本当に色々、「刺さる」シーンが多くあったのでした。
(余談だが、チームがメカニック面でお世話になっているショップは、私が仙台でお世話になっていたショップがモデルだと丸わかりだった:笑)
この辺りの感覚は、仙台近郊の雰囲気を知らない皆様からは、「なんのこっちゃ?」な部分だと思います。
しかし、首都圏近郊の自転車乗りの皆様がこの話を読めば、地方在住の自転車乗りの皆様が、関東~東海圏を舞台とした自転車小説や自転車漫画を見て、「土地勘がないから、よく分からない」と、いまいち感情移入できない微妙な気分になるのが、よくおわかり頂けるかと思います。
「自転車」という趣味においては、「自身の体験」が本当に重要な位置を占めるんだなあ、と、改めて思わされた作品でした。
●まとめ
自転車ロードレースを通して、主人公が選手として成長していく姿を描いた物語です。
人間ドラマやいわゆるスポ根的な話より、レース中の流動的な展開の中で、勝利を手繰り寄せるための戦略をどうするか、という描写が多いのが特徴です。
良く言えば「図太い」、悪く言えば「天然」な主人公が、レースの中で揉まれ、ベテラン達から刺激を受け、成長していく姿が好きな方(その中でも、人間関係や恋愛のドロドロ成分が苦手な皆様)にお勧めな内容です。
まあ、さすがに自転車小説も数が増えてきたため、他の作品と似た様なプロットや展開があるのは、否めません。
ですが、仙台近郊に土地勘のある皆様には、色々な意味で自分の経験とシンクロし、物語にのめりこめると思います。
なお、仙台近郊に土地勘がない皆様。特に首都圏近郊の皆様には、地方の自転車乗りが、首都圏近郊を舞台にした自転車小説や自転車漫画に、いまいち感情移入できない微妙な気分を体感できる、貴重な作品になると思います。
価格評価→★★★☆☆(←一般的なハードカバー本と同じくらい。個人的には、この価格で全く問題ない)
評 価→★★★★☆(←仙台近郊に土地勘のある皆様は、自分の経験とシンクロして感情移入できる部分が多くあると思う)
<オプション>
年 式→2019年2月25日 初版