[読み物] 追いかける星
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やってしまった。
だれしも1度はやってみたいと思いつつ、
「はぁ? わざわざ?」
などとキチガイのように見られるのが怖くて、踏み出すことができない。
それは飛行機輪行でマイバイクを運び、見知らぬ大地へと走り出す冒険だ。
「レンタルサイクルでよくね?」
そんな助言じみた批判に耳を貸したくなる。その指摘は間違っていない。 でも足りない。自分の乗り慣れた自転車でこそ得られるものがあるはずだ。 いや、きっとある。あってくれ。頼む。お願いします。
あれは1週間前のこと。
自転車の何たるかを教えてくれた先輩が海外のレースに参加すると聞き、 前祝いのようなつもりで一緒に走っていた。しかし不幸にも黒塗りの高級車に 追突してしまう。後輩をかばいすべての責任を負った三浦に対し、車の主、 暴力団員谷岡が言い渡した示談の条件とは…。
「おい兄ちゃん! コイツの代わりにレース出んかい!」
ドスの効いた声で命令された私に拒否するなどという考えは浮かばず、 気がついたときには人生初の飛行機輪行、そして海外というダブルな 体験をしながらも、まるで現実感が無かった。
謎のマンパワーで別人である自分の代走が認められたことにも驚いたけれど、 ひとまずホテルへと辿り着いた。しかし落ち着かない。何かが仕組まれている ような気がして、とても体を休める気にはならなかった。
「……走るか」
輪行袋の中で窮屈そうにしていたバイクを取り出すと、ほんの少しだけ心が 落ち着いた。袋の中に閉じ込められていた日本の空気のおかげかもしれない。
窓へと近づいて外を見る。潮の香りとギラつく太陽。どこからか聞こえてくる 英語の歌。ハワイ。ムカつく言い方をすると「ワイハ」だ。
黒塗りの高級車に乗せられて病院へ向かう先輩が言っていた。
「旅先は何が起こるか分からない。気をつけろ!」
その言葉を思い出し、じっとりと汗をかくほど暑いのに身震いする。
いつもと同じように走っていれば、次第に気分も落ち着くだろう。
そのように考えて走り出した。
走り始めてしばらくすると、後ろから聞き覚えのあるガー〇ンの電子音が 聞こえ、捕捉されたと理解するより速く、誰かが自分を追い抜いた。
赤いロードバイク。そして金色をあしらったヘルメット。一瞬で通り過ぎて しまったので顔はよく分からなかったけれど、アイウェアをしていた。
平静を装ってボトルの水を飲むと、自分の乗っているバイクが目に止まる。
車体の色は眩しいほどの純白だった。顔を上げて距離を離していく赤い自転車を見る。
何かが自分の中で閃いた。
私は前を行く人のことを「シャアさん」と心の中で呼ぶことにした。
3倍速くて新型に弱く、足の有る無しを気にしていたアノ人だ。
スピードを上げてシャアさんの後ろについて観察すると、ちゃんと足は付いていた。 腰の周りは太く、下へ行くほど細くなったサイクリストのそれが、規則正しく動き 続け、ムダのない流れるようなペダリングを生み出している。
思わず見とれてしまった。もしかしたら同じレースに出場する選手かもしれない。 付いて行けば掴めるものがあるかも。そんなことを考えた。しかしすぐにその 期待は叶わないと分かる。
シャアさんが首を動かして後ろをちらと振り返り、薄く笑ったような気がした。 嫌な予感がした。前に顔を戻したシャアさんは猛烈な勢いで加速を始めたのだ。
あっという間に距離が開き、それこそ彗星のように消えてしまったシャアさんの 残像に追いつくのがやっとで、私は足を止めてその場に立ち尽くしてしまったのだった。
そこが日本であれば、いさぎよく負けを認めて「まいったなぁ」と笑って済ませて いたかもしれない。しかしそこは日本ではなかった。だから少しばかり熱に浮かされて いたのだと思う。実際、暑いし。
「……くそっ、負けるか!」
吐き出すように叫び、シャアさんの消えた道を走り出す。だがシャアさんの姿を見つける ことはできなかった。当然かもしれない。彗星を見られるだけでも幸運なのだ。まして、 それに追いつこうだなんて、とんだ思い上がりだったのかもしれない。
それでも私は諦められなかった。今も遥か先を行くシャアさんよりも速くなれば、 いつか追いつけるはずだと、簡単かつ愚かな答えを自分に与え、猛然と走り出した。
途中、メガネをかけた通行人に鋭い剛腕パンチを決められていた人がいたけれど、絶対に 別人だと思った。あんなのシャアさんなら簡単に避けられるはずだ。
立ち塞がるかのような坂を駆け上り、そして下り坂でさらに加速する。
「まだだ、まだ届かない!」
そうして走り続けるうちに地上を行く星、「シューティングスター」と呼ばれる 選手が生まれることになるのだが、それはまた別の話である。
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momochi_gyugundさんの投稿を拝読して書きました。 原案というか、赤い人のモデルにしてしまってスイマセン。
遅ればせながら2019年、皆様にとって良い年でありますように。
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