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これは、アメリカ機械工学会の論文誌Journal of Mechanical Designの2001年12月号に掲載された論文です。
題名でそのまま検索すれば全文閲覧が可能です。無理やり邦題を付けると、
「自転車チェン駆動系の効率へのフリクション損失の影響」
という風でしょうか。なお、CBNレビュワーのflareさんが旧BBSでご紹介(投稿日:2011/12/08 No.5324)されているIHPVAの論文は、同じ著者で、内容もほぼ同じです。
筆頭著者は米国ジョンズ・ホプキンス大学 Materials Science and EngineeringのJames B. Spicer教授。シマノの福田雅彦氏と寺田正夫氏も共著者となっています。
この論文、題名の如く、自転車駆動系のチェン摺動フリクションの影響に関する論文ですが、看過できない数字が羅列されています。この論文を読んだ私の感想を手短に言うと、
★ チェンとギヤの駆動系フリクション損失は全く侮れない
★ これと比べたらBBとかハブの軸受ベアリングのフリクション損失なんて○△×(オフレコ)
です。
以下、ダラダラと書いてしまいましたが、お付き合いいただければさいわいです。
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この論文では、チェンとギヤの駆動系の損失を表現する数式モデルを構築しています。また、実際のギヤとチェンを用いた駆動系を作製し、これを用いた実験によって伝達効率を計測した結果を載せています。
まず、数式モデルを見てみます。
論文の式(9)。
左辺のPftotalが、フリクション損失(単位はワット[W])。右辺のN1がチェンホイールの歯数、N2がスプロケの歯数、ω1はチェンホイールの回転角速度(単位は[rad/s]で、[rad]は一回転360度を2×π[rad]とする角度表示方式)、µ1は駆動テンション側チェンとギヤ歯面の摩擦係数(論文の式ではμⅠとなっていますが、誤植です)、ρはチェンのリンクピンの半径[m]です。T0はチェンのテンション[Nm]なのですが、実はフリーテンション側、つまりリヤ変速機側のテンションで、駆動テンションTではありません。
というわけで、注目すべきは、この式の中にチェンテンションの項が、フリーテンション側、つまりリア・ディレイラでもたらされる緩いテンションT0しか入っていないということです。これはどういうことかというと、ギヤの歯数が決まっていれば、どんな走り方をしたとしても、損失は駆動力の源泉である大きなチェンテンションTの影響を受けない、ということです。ケイデンスを維持しながら登り勾配に入ると、トルクが大きくなり、投入パワーも増加しますが、この時、損失は増加しない。すなわち、効率が増加する、ということです。こんがらがってしまいそうなので、もう一度、別の言い方をすると、
★ 損失は、駆動側チェンテンションに依存しない(式(9)では)
★ したがって、効率は、駆動側チェンテンション増大(つまり駆動パワー増大)とともに向上する
です。
実は、損失とテンションの関係の詳細な議論も論文の後半、式(15)あたりに面倒な記述が載っているのですが、このレビューでは、わかりやすくするために上記の式(9)に、トルク依存の損失項を新たに設定して、実験結果に合わせこんでみました。どの程度一致するのか、ちょっと見てみます。
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さて、実測結果はTable1,2,3にまとめられていますが、核心部分はTable2とTable3です。以下に論文から引用します。各表で着目すべき条件は、次の通りです。
★ Table2は、クランク軸入力を100[W]に固定して、ケイデンスとスプロケ歯数を変えています。
★ Table3は、ケイデンスを60[rpm]に固定してクランク軸入力とスプロケ歯数を変えています。
いずれの実験においても、クランク軸入力は、わかっています。単位は[W]です。この際です。じっくり眺めて、それぞれの場合で、伝達効率が如何ほどか、鑑賞してみてください。
さて、先ほどの式(9)。これはチェンとギヤの駆動系フリクション損失PFtotal(面倒なのでPfと書きます)であり、単位は[W]ですから、クランク軸入力Pcとチェンとギヤの駆動系フリクション損失Pfを使って、駆動力伝達効率ηは、次に示す式(a)のように書くことができます。また、論文の式(9)で定数と考えてよい部分(フリー側のテンションT0は定数ではありませんが、ここでは定数と仮定します) をまとめてαと置くことで、式(9)を次に示す式(b)のように書いてみます。すると、効率の式(a)は式(c)のようになります。次に、クランク軸トルクTcの効率への依存性を、指数係数βを使って式(d)のように追加してみます。なお、トルクTcですが、クランク軸入力Pc[W]とケイデンスNc[rpm]を用いて、 Tc = Pc/Nc*60/2/π で計算されます。
式(d)の中で、値がわからないのは、αとβです。そこで、このαとβを適当な値に設定して、実測値になるべく近づけてみよう、ということをやってみます。Table2とTable3のそれぞれの実測値と、これらに対応して式(d)で得られる数値がなるべく近くなるようにαとβを操作します。具体的には、Table2とTable3の実測値41個について、実測値と式(c)で得られた数値の差分を2乗し、すべてを合計し、その合計値が最小になるようにαとβを設定します。
このようにして得られたαは0.54、βは-0.29でした。というわけで、論文の式(9)を少々改変した式(d)を実測値でフィッティングした式として、式(e)を得ます。ω1はクランクの角速度ですが、なじみ深いケイデンスNc[rpm]を使うと、式(f)となります。
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Table2とTable3ですが、表ではわかりにくいので、それぞれをグラフ化してみます。ついでに、先ほどフィッティングした式(f)を使った結果も同じグラフに載せてみます。なお、横軸はTable2のグラフがケイデンス[rpm]、Table3のグラフがクランク軸入力[W]です。また、赤丸が実測値、青※が式(f)の数値です。素朴な式(f)ですが、実測の傾向をそれなりにトレースしています。(こ、これは使えるっ・・・)
素朴な式(f)でチェン駆動伝達効率がある程度予測できるとなると、例えばパワー計測装置のSRMでリアルタイム計測しているクランク軸入力パワーと、前後ギヤ歯数を使って、リアルタイムで伝達効率がわかってしまいそうです。
それにしても、伝達効率がここまでドラスティックに変化するものだとは。グラフ化すると、何だか迫るものを感じます(笑)。ちなみに、Table2の一番左のグラフで、100[W]のクランク軸入力でケイデンスが30[rpm]、ギヤが52×11というのは、1.6[%]程度の上り勾配相当です。こんなギヤ比で走るわけがない、というツッコミを入れたくなります。一方、同じグラフの100[W]走行でケイデンス90[rpm]、ギヤが52×11というのは、速度が53.5[km/h]ですが、約6[%]の下り勾配走行です。これは十分あり得ます。
実験を受けた議論で著者は、”Tests of efficiency for the derailleur-type chain drive indicate that the overall efficiencies for the transfer of power from the front drive sprocket to the rear sprocket range from 80.9% to 98.6% depending on the conditions of drive operation” .なんて、サラッと言ってます。こんなもの見たら、心穏やかではなくなる方もいらっしゃるのでは ??
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で、上のグラフはなんだか衝撃的ですが、いま一つ、様子が掴めません。実際、意味を理解するのが意外と難く、勘違いを容易に誘発するグラフです。結局、どうなるのか?式(f)を使って、わかりやすい事例を2つ、挙げてみます。
★★★ 100[W]のクランク軸パワー(平地時速25.5[km/h]とします)で走行している時に、53×21(レシオ2.52)で走った場合と、38×15(レシオ2.53)で走った場合と、53×11(レシオ4.82)で走った場合、効率はどうか?
答・・・53×21(レシオ2.52)・・・効率 92.2% (ケイデンス80.4[rpm])
答・・・38×15(レシオ2.53)・・・効率 92.2% (ケイデンス80.1[rpm))
答・・・53×11(レシオ4.82)・・・効率 94.4% (ケイデンス42.1[rpm))
※ただし、近似式(f)の結果
★★★ 500[W]のクランク軸パワー(ノーマルなロードバイクで平地時速46.8[km/h]とします)で走行している時に、53×19(レシオ2.79)で走った場合と、38×14(レシオ2.71)で走った場合と、53×11(レシオ4.82)で走った場合、効率はどうか?
答・・・53×19(レシオ2.79)・・・効率 98.0% (ケイデンス133.5rpm)
答・・・38×14(レシオ2.71)・・・効率 97.9% (ケイデンス137.2rpm)
答・・・53×11(レシオ4.82)・・・効率 98.5% (ケイデンス77.3rpm)
※ただし、近似式(f)の結果
というわけで、2つの例題から見えてくることは、
★ 同じようなギヤレシオであれば、アウターギヤでもインナーギヤでも効率は同じようなもの
★ レシオを大きくすると効率が良くなる
★ 高パワー走行すると効率が良くなる
です。つまり、
「とにかく高負荷かつ重いギヤで走ればそれだけ効率が良くなるゼ!」
う~む、個人TTで強いカンチェラーラやウィギンスみたいな凄い選手ほど好都合になる話です。100[W]でのんびりサイクリングの時の効率と、500[W]でエリートな走りをする場合とでは、効率が5[%]程度も違う。凡脚サイクリング派の私としては、何だかちょっと寂しい気持ちにならなくもない・・・。
(※ 同じパワーで効率が違うんだから速度も違ってくるだろ!というツッコミ入れてくださった方がおられると思います。クランク軸パワーと走行負荷の関係で速度を求めることが出来ますが、効率が速度の関数になるため、少々計算が面倒になるので、手抜きしてしまいました。ちなみに、少し真面目に計算した場合は、ノーマルロードバイクの500[W]走行で概算して、効率98[%]の時の速度が46.49[km/h]だとすると、97[%]の場合は46.32[km]です。50[km]TTを走った場合には約14秒の差となります。また、TT専用バイクと空力に優れたライディングフォームをチョー適当に想定すると、効率98[%]の時が51.47[km/h]、効率97[%]の時が51.29[km/h]となり、50[km]TTでの時間差は12.3秒となります。)
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自転車雑誌にはいろんなカイシャから様々な商品が持ち込まれ、広告なのか、ニュートラルな記事なのか判然としないページがやたらと多い月刊誌が出来上がってしまうわけですが、ことチェン摺動フリクション損失に関して、正面から取り上げた記事は見たことがありません。シマノのような総合的な自転車パーツ開発を行う設計・研究の現場では、全体のバランスを考えれば、ホイールや部品形状による空力抵抗損失の低減、タイヤの転がり抵抗損失の低減、そして、チェン摺動フリクション損失の低減が、本来の最重要課題である、と認識されているはずです。だからこそ、デュラのハブ軸受ベアリングも、ほどほどの等級のモノで(多分)済ませているのでしょう。チェンラインからのチェン角度偏移量(チェンオフセット)は効率に影響が少ないから、多段化への対応は、出来る限りやる。でも、チェン摺動フリクション低減の問題はなかなか思うに任せず・・・という感じではないかと想像します。
色々と手を変え品を変え、様々な技術的能書きを携えて新しい自転車やパーツが次々とリリースされ、活況を呈する自転車業界ですが、見過ごすことが出来ないはずのチェン摺動フリクションについて正面から取り上げることは、もしかしたら、業界タブーなのかもしれません。一方で、一般の目には滅多に触れることがない論文誌には、そんな事情(があるかどうかわかりませんが)など関係なく、実験事実が平然と述べられている、というわけです。
あ、それから、著者は、「チェンオフセットも無視できないが、ギヤ歯数やチェンテンションの影響に比べれば小さい。そして、様々な潤滑を試したが、有意な差はなかった」とも論文中で述べています。これは非常に重要なことです。
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以下余談。。。
確認したい点があったので、著者のJames B. Spicer教授にメールでいくつか質問してみましたが、その返事の中に、余談ではありますが、面白いことが書いてありました。教授曰く、
「この論文は2001年に著したが、査読を通過した論文の中には、我々と同じような変速機付自転車の効率を示した論文が見当たらない」
のだそうです。James教授の論文はアメリカ機械工学会の当該論文誌の論文査読審査を経て、論文として掲載しうるという判断が下されたのち、論文誌に掲載されていますが、変速機付自転車の効率を実測した論文としては、そういった手順を踏んで掲載されたものが他に見当たらない、と。他にも実測事例はたくさんあると思うのですが、査読を通過した論文という形式では少ないようです。というわけで、実測結果としては、この論文の数値はそれなりに信頼性も高く、参考にしてもよいのではないか、と思いました。
興味を持たれた方は、是非、論文を見ていただけたら、と思います。
以上、長文で失礼いたしました。
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年 式→2001