購入価格 ¥40000円くらい(スポーツデポで。型落ちセールでした)
馬鹿野郎!
どいつもこいつも「プロでもないのにどうしてそんなに一所懸命なの」とか「レースに出るわけじゃないからこれくらいで充分」とか、一体誰に遠慮しているんだ!?
お前らは体を鍛えることに意味を見い出していないのか!
自転車への、掛け値なしの愛情はないのか!
強くなるってことはなぁ、たとえプロでなくとも、レースに出場しなくても、決して無駄にはならないんだよ!
この風潮を見ていると、何事にも真剣(まじ)になれない現代人の縮図を見ているようで、危機感を覚えてしまう。
ここは俺の体験談で、この閉塞したふいんきに風穴を開けなければならないな・・・
それは、5年前の桜が咲く頃。俺が大学に入学して間もない頃だった。
当時の俺はスポーツや体を鍛えることには何の興味もないばかりか、現代の日本のような法治国家においては何の意味もないと考えていた。
一流大学出身で会社社長の厳格な父親の指導のもと、たくさん勉強をして進学校に進学し、収入の多い仕事に就いて、社会的地位を築くことこそが人生の目的だと徹底的に叩き込まれて生きてきたのである。
そんなある日のことだ。たまたまテレビで競輪の中継が流れた。
当時の俺にとって競輪とは、酒と煙草のにおいをプンプンさせた中年太りのアスリートくずれのおっさんがするという認識だった。
「フフッ、スポーツ選手って愚かだな!あんなに自分の体を痛めつけて!あんなに無駄な筋肉をつけて!原始時代ならいざ知らず、現代の日本ではいくら強くたってケンカなんかできないし、もし殴られたら、法律の知識でも持っていたほうがよっぽど役に立つのにね!!」
そのとき、出走する選手の紹介があった。紹介された選手は身長190cm体重100kgという巨漢だった。
俺はそのときふと思った。
スポーツや体を鍛えることには何の興味もない俺には、100kgなど脂肪の塊のただのデブという認識だった。
しかし、この選手の肉体は、うっすらと脂肪は乗っているものの、太腿などは古代ギリシャの彫刻もかくやと思わせるような圧倒的な存在感を放っており、素人の俺の目にもただ者ではないオーラを纏っていた。
俺は思った。別にレースに出る必要はない。100kgになるまで筋肉をつけなくてもいい。とりあえず、少しは体を鍛えてみるのもいいかもな、と。
「父上、大学に入って少しは自由な時間も増えたし、自転車通学でもはじめて少し体を鍛えようと思います」
その言葉が終わらないうちに父の髭が怒髪天をつくように逆立ち、怒りを漲らせた豪腕パンチが俺の顎を捉えた。
ちゃぶ台の上に大の字になってのびている俺に、父はこう言い放った。
「馬鹿野郎!大学に受かっただけで浮かれるとは何事だ!『勝って兜の緒を締めよ』ということわざもあるだろう!大学入試が終わって、皆が浮かれている今こそ、差がつくときなんだ!お前は医学部に入ったのだから、国試に向けて猛勉強を開始するべきなのだ!学力こそが、現代を生き抜く最大の武器だということをゆめゆめ忘れるな!!」
しかし、俺は父に隠れて自転車通学を始めることにした。
おそらく生まれて初めて、父の言うことを聞かない俺に、父は気付いていないのか黙認しているのか。そんな日々が続いた。
購入した自転車は「GIANT ESCAPE R3」。近所の「スポーツデポ」で、「予算は5万円以内」「スピードが出るのがいい」「主に通学に使う」「オフロードは走らない」という条件を話すと、店員さんがすすめてくれた。ママチャリしか乗ったことのなかった当時の俺には、同じ自転車とは全く思えない、まさに別次元の乗り物だった。ペダルを踏んだ力が何倍にもなって俺を前方にはじき出す。俺はたちまちこの乗り物のとりこになった。つややかに光る美しい塗装。なめらかな接合部をもつヘッドチューブまわり。大して汚れてもいないのに、大切にウェスで拭ったものだ。
今までの自転車の常識を超える距離を走るようになった。大好きなおじいちゃんのいる唐津までの往復100kmをはじめて走破した日のことは今でも忘れられない。フラットペダルにスニーカーだった。ヘルメットもアイウェアもまだ持っていなかった。ポロシャツに短パン姿だった。サイクルコンピュータなんて知らなかった。朝早く家を出、海沿いを風に乗って走り、昼には海の幸を味わい、夕方まで野を山を走り回って遊んだ。廃墟を見つけて、おそるおそる近付いてみたりもした。
おそらく平均時速にして20km/hにも満たなかったであろうあの日は、まごうことなき「冒険」だった。心おどる一日だった。
その日も俺は、唐津のおじいちゃんの家に向かっていた。さっき連絡を入れたから、やまめを焼いて待っていてくれるだろう・・・そう思いながら玄関先に自転車を停めると、縁側から聞きなれた声がふたつした。一人はおじいちゃん。もう一人は・・・父の声だ。
「おとうさん。私は父としてつよしの教育を誤っていたのかもしれません。何を差し置いても勉強、勉強で、体を鍛えることなどどうでもいいと教えてきた。そのせいで、つよしはピンと一本スジの通ったところがない、弱々しい男になっていたんです。しかし、自転車に乗るようになって、あいつは変わった。他人がなんと言おうとも、己の信じる道を進むようになったんです。あんな馬鹿息子ですが、これからもつよしを温かく見守ってやってください」
「ただし、『男子三日会わざれば瞠目して見よ』じゃよ。つよしはこれからもっとたくましく成長するじゃろう。おっと、やまめが焦げそうじゃ」
建物のかげからふたりの人生の先輩たちの会話を聞いていた俺は、頬に流れる熱いものを止められなかった。
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先日、「ESCAPE R3」と出会って5年がたった。思い起こせば、この自転車で長距離走行に目覚め、俺の自転車人生はここから始まったのだ。半年後に「CANNONDALE CAAD8」を購入してからは、ESCAPEはちょい乗り用になった。そして3年後、通勤用に「GIOS AIRONE」を購入してからはESCAPEの出番は激減した。バーエンドバーを前方に伸ばしたり、タイヤを23Cにしてみたり、ステムを130mmに伸ばしてみたり、サドルをやたら後方に高くセッティングしてみたりもした。ほんの少しのスピードと引き換えに、とても乗りにくくなったのでノーマルに戻した。おかげで、ひととおりのメンテナンスやパーツ交換は自分でできるようになった。
今でも感心することだが、この自転車の耐久性は素晴らしい。購入から5年が経過し、走行距離は1万kmを超えているが、ダメージらしいダメージがない。ワイヤーはインナー、アウターともに購入時のまま。ブレーキパッドは前後ともにシマノ製に交換した。チェーンは磨耗により数回交換したが、スプロケやチェーンリングは不都合なく変速も気持ちよくスパスパと決まる。前輪は一度もパンクしたことがなく、驚くべきことにタイヤも購入時のままである(一時期、23Cに浮気していたときを除く)。出先で駐輪中、長時間雨ざらしになったことも数え切れない。保管は、マンション一階の駐輪場。使用環境を考えると驚異的である。
つい先日のことだ。大学以来の大切な友人から「自転車通勤を始めたいから、おすすめを教えて」と相談を受けた。俺はなにか運命を感じ、「お古でよければ譲るよ」とこたえた。乗ることはなくなっても、ときどき部屋から出してメンテナンスは欠かさなかった愛着のある自転車だ。寂しさはあるが、乗られずに余生を過ごすよりも、きっとESCAPEも喜んでくれるだろう。そう俺は思うのである。別れに際して、ワイヤー類の点検と、ヘッドパーツのグリスアップをしていると、ESCAPEとのたくさんの思い出がよみがえってきた。その思いが、俺にペンを取らせずにはいられなかったのである。
価格評価→★★★★★(←自転車通勤入門の最適解の一つ)
評 価→★★★☆☆(←細かいこと言うと値段なりではある)
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年 式→2006