延長50km
獲得標高差1500m
一体どんな夢を見たのか、塩那道路
別称 「塩那スカイライン」
それは、自衛隊が開拓した怪道。
そしてMTBダブルトラックファン垂涎の道 ・ ・ ・
http://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=a29d1e79e8fbbc64abe1821ae6c32507昭和30年代、モータリゼーションの進展に伴い、自動車による観光が急速に伸びはじめます。日光や鬼怒川、那須高原などの観光地をつなぐ役割と、道自体の観光資源化を狙い、標高1800mまで達する人里離れた山中に道をつける構想を、1962年に栃木県が発表します。
2年後に工事が開始されますが、この山中に通じる道は登山道以外、一切無く、資材運搬などの問題に直面します。そこで先行して、パイロット道路を設けることになります。パイロット道路の建設は、自衛隊の支援を受け、1971年に完成し、全線が繋がりました。
次の段階が、パイロット道路を足がかりとして、本道を建設することでした。
1972年に一般県道として県道認定を受け、以後は県道整備事業として工事が進められることとなります。しかし、直後のオイルショックによる財政悪化を原因に1975年、建設工事が休止されます。呆気なく休止された裏には、屈指の難工事だったことも原因としてあるのではないかと推測します。
以後、環境保護の声の高まりもあり、結局工事が再開されることなく、時は流れます。
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そして、2004年8月24日。知事定例記者会見の場で、「塩那道路に係る基本方針」の説明がありましたが、その一つ目が、
「中間部約36kmについては、建設を中止する。今後は、専門家等の意見を聞きながら、植生回復に必要な対策を実施する。」
道を拓いては崩れ、崩れては直す、という果てしない工事の末に、開通を諦め、自然に戻すことが正式決定したということのようです。当時、地元紙でもいくつかの論説か見られました。本当にこの道路が必要だったのか、云々・・・。
廃道化を促進し、道を自然に戻すことになったため、当然、時間とともに、道路の危険性は増して行きます。現在では、地元警察が、車両、自転車、歩行者などすべての一般人の立ち入りを禁止しています。
・ ・ ・ とは言っても壮大なダブルトラック。
この塩那道路は一部MTBファン、廃道ファンからいまだに熱い支持を得ているというわけです。そこで、2007年11月と2009年5月の2度に渡って調査隊を派遣し(って自分とかみさんですけど(笑))、現地調査を行いました。
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那須塩原側と、反対側の板室温泉側のごく一部だけが通行可能で、中間部は延々、進入禁止。
まず、那須塩原側から開通している7kmほどをクルマで上ります。序盤でゲートがあるのですが、昼間しか開いていないので要注意。
そのゲートを通過し、九十九折の道を上っていくと、やがて行き止まりとなります。行き止まり地点のゲート前の駐車スペースにクルマを停め、登山靴に履き替え、飲み水のペットボトルを多めに入れたバックパックを背負い、ゲートを突破します。
この鉄柵ゲートは、かなり本格的ですが、扉式であり、工事関係者と地元関係者は通行可、というかつての慣習の名残を感じさせます。
突破して鉄柵ゲート越しに駐車場を見る
こういう鉄柵ゲートはよくあるパターンですが、しかし・・・その先に鎮座するコンクリートの立方体。
「絶対に入るべからず」
と宣言するかのようか、毅然とした状況です。手前に4個、奥にも4個。
林道などでよく見る「管理車両以外進入禁止」などの看板は、あまり真に受けないほうが良かったりして、自転車など全然OKだったりしますが、こちらには、そんなユルさは微塵もありません。
これを突破して、調査開始(笑)、です。
塩那道路の最高地点は、標高1853mの日留賀岳(ひるがたけ)の山頂の間近、約1kmのところを通過します。実は、塩那道路の始点近くから登山道が日留賀岳に通じており、こちらのほうがよほど大変で、危険なのですが、無論、登山道は通行止めではありません。仮に、完全に崩れ落ちた通行不能個所があったとしても、現場で判断して迂回したりするのが常です。進入禁止の一般道と登山道とでは、当然ですが、当局によるリスク管理のレベルが全く異なります。
自然に戻すことになった塩那道路。
法面は徐々に崩れ、角の鋭利な石ころの数が、日を追って着実に増えているように感じました。
車両の通行が全くないので、石ころは鋭利な姿をいつまでも留めることでしょう。MTBの極太タイヤでも容易にサイドを切る可能性があり、慎重なライン取りが要求されます。中間地点で走行不能になった場合を想定し、水はかなり多めに持つべきです。夏場は4L程度あるといいですね。
塩那道路は、登山道がない大佐飛(おおさび)山を巻くように、山中をうねっています。
難工事を物語る慰霊碑がありました。大規模林道などでは稀に見かける光景です。
こんな落石もごく普通です。もう、撤去されることもないでしょう。倒木も ・ ・ ・
車両が通行しないため、路面は自然の風化による風合いを見せています。このMTBの轍は、一体、いつのものでしょうか?
五葉つつじが咲き誇っています。これからは人間の代わりに鳥や熊などが見ることでしょう。
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天空回廊などと呼ぶ人もいるらしい、この道路。
最高地点に近づくと、そんな感じがしてきます。1849mの日留賀岳から最高地点方面を見下ろすとこんな感じです。
なるほど、天空回廊。
この画像は2003年11月に登山で日留賀岳に上った時のモノです。稜線伝いで塩那道路に簡単に降りていくことが出来るように見えますが、実際にはかなりの藪こぎを強いられるそうです。
2007年10月の踏査の時には、きのこが入った大きな籠を背負った地下足袋姿の初老のオフロード2輪ライダーが山中を経由して見事ゲートを迂回して駐車場側に脱出してきたり、塩那道路を走行するMTBを数名見かけたりしましたが、2009年はゼロ。
なお、その老獪な2輪ライダーの初老の男性曰く、
「ワシは毎年キノコ採りに来てるんだ。あそこのわきから山に入ってすぐにあっちの道路に降りられるんだよ。途中でバイク停めて沢に降りて反対側に上り返すと、キノコがいっぱい採れるところがあるんだ。場所は秘密だよ。」(翻訳済)
荷台には2Lのペットボトルと長い柄のカマ、木製の柄がついたピッケルなど、クマとの遭遇や急斜面登降坂も想定しているかのような、使い込んだ道具がくくりつけられ、百戦錬磨の様相でした。
この画像の左に小さく写っているのが、階段をトライアルして下ってくる(笑)おじさんです。
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塩那道路は、時間の経過とともに着実に風化し、ガレて、倒木や大きな石が道を塞ぎ、MTBによる全線走破が確実に難しくなっていくことでしょう。
もしかしたら来年あたりが最後のチャンスかも知れません(※)。
(※) 塩那道路の進入禁止区間に入ってはいけません(by地元警察)
評 価→★★★★★