ロードレースファン、特にツール・ド・フランスファンなら誰でも知っているであろう距離13.8km、平均勾配7.9%、21のカーブがある坂。
急勾配なこの坂の頂上にある町の名前はラルプ・デュエズといいます。
ツール・ド・フランスに初めて取り入れられたのは1952年。
初めて制したのはカンピオニッシモことイタリア人のファウスト・コッピです。
それ以降、幾多の名勝負の舞台となってきました。
また、2010年にはドーフィネ・リベレにも取り入れられました。
2010年時点での登坂記録は、1、3、5位はマルコ・パンターニ、2、4位はランス・アームストロングとなっています。
2004年、この山岳で個人タイムトライアルが行われた際のランス・アームストロングの平均速度は23.4km/hだったそうです。
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フランスアルプスの入口となるグルノーブル(Grenoble)からD1075、D1085、D1092と50km走ると、
人口3000人ほどの町ブール・ドワザン(Le Bourg d'Oisans)に至ります。
ガール通り(Av de la Gare)沿いで最初に見つけたホテル「L'Oberland」に宿泊しました。
このホテルは、ベランダには自転車が掛けられてあり、廊下にはジャージやロードレース関連の新聞の切り抜きなどが飾られている、
まさにサイクリストのためのホテルといった雰囲気でした。
また、2001年のツール・ド・フランスでは、このホテルの目の前に山岳ステージのスプリントポイントが設置されていました。
http://www.hoteloberland.com/「最初の3kmがきついぜ」
ホテルでの夕食後、部屋に戻るために階段を上ろうとしたときに話してきたサイクリストが言っていました。
また、この町を起点とする30のサイクリングルートが載った冊子があることを教えてくれました。
この冊子は次の日、ホテルの主人から貰いました。
朝7時起床。
朝食はたっぷりとジャムをつけたフランスパンとふわふわのクロワッサンにコーヒー。
ゆっくりと出発の準備をして、朝9時にはホテルを発ちました。
まだ静まりかえっている町を通り、2kmほど進むとさっそく登りが始まりました。
レースの放送で何度も何度も見て、いつか走りたいと夢にまで見た風景です。
ラルプ・デュエズで一番きつい最初の3kmは最大14%の勾配がありますが、
ここさえ乗り切ればあとは登るにつれて緩くなっていきます。
とはいっても10km以上ひたすら7~8%程度が続くわけですから、無理をせず自分のリズムで登ることが大事です。
登り始めから2つ目のカーブ、つまり頂上から数えて20番目のカーブにて。
全てのカーブには、ツール・ド・フランスにおいてこのヒルクライムを制し、歴史に名を残した選手の名前が刻まれています。
しばらく登り視界が開けると、眼下には先程までいたブール・ドワザンと登ってきたつづら折りの道が見えていました。
途中にはジョアキン・アゴスティーニョ(Joaquim Agostinho)の記念碑がありました。
1979年ツール・ド・フランスのラルプ・デュエズで優勝を飾ったポルトガルを代表する名選手です。
彼は1984年に出場したレース中の事故で命を落としました。
いくつかの小さな町を通過し、ガードレールも無い道を登っていきます。
ツール・ド・フランスのコース(Itinéraire du Tour de France)と書かれた看板で残りの距離が分かります。
写真を撮る私を横目に、多くのサイクリストが登っていきました。
分かれ道では、Tour de Franceの文字だけが頼り。
頂上から3つ目のカーブには、1995年、ラルプ・デュエズで初めて優勝したマルコ・パンターニの名前がありました。
「ようこそラルプ・デュエズへ(Bienvenue(仏)=ようこそ、他の文字は英語、独語など)」の看板を過ぎると、
ホテルやショップが立ち並ぶ町並みになります。
ここは冬場、スキーなどウィンタースポーツの町となるようで、
まだ暑さの残る9月には登ってくる自転車乗りしかおらず、閑散としていました。
というか、昼間に町の店が全然開いてないってどういうことよ…
残り1kmの看板付近の急勾配区間を過ぎると、あとはほぼ平坦。
路面に書かれたゴールラインに向かって突き進みます。
標高1850mのラルプ・デュエズに登頂。
私の後から登ってきた自転車乗りと少し話しをしました。
彼は「Bon Voyage!」の言葉を残して下っていきました。
ツール・ド・フランスのコースはここで終わりです。
が、せっかくここまで登って来たので、さらに奥に続いていた細道へと進んでみました。
路面が若干荒れている道は、私の他にはたまに通る自動車しか見かけません。
前方から羊の群れが下りてきました。
たくさんの羊の首に付けられた鐘の音が、カラン、カランと谷間に響き渡っていました。
サレンヌ峠(Col de Sarenne:標高1999m)に到着。
看板のRefugeとはフランス語で「隠れ家」の意味。
矢印のほうには一軒に家が建っていました。日本で言うところの峠の茶屋でしょうか。
峠からは、遠くに雪を被った山が見えていました。
峠からは狭く、すぐ横は崖になっている道を下りました。
花が飾られたミゾエン(Mizoën)などの小さな町を通過し、
エメラルドグリーンの色をしたシャンボン湖(Lac du Chambon)からは幹線道路に合流。
この日はもう少し走り、標高およそ1460m付近にあるラ・グラーヴ(La Grave)という町の宿に宿泊することとなりました。
景観→★★★★☆
登坂距離→★★★★☆
平均勾配→★★★★☆