2009年のツールは、BBOの新城が129位、SKSの別府は121位と、見事、156人(完走率87%)の中に食い込んで、完走を果たしました。ヤッタ~!
1996年、近代ツールに初めて挑んだ日本人、今中大介は第14ステージで力尽きましたが、今年の二人は、時折、見せ場まで作り、最後までやり抜きました。最終日の別府はカッコ良かった。そして新城の出場は、梅丹本舗・浅田顕監督の執念が実を結びつつあることを実感させてくれました。頑張れ浅田顕監督!
http://www.cyclisme-japon.net/modules/callforsponsors/content0002.html一方、ランス・アームストロング。まずはジロで勝って、ツールでは余力を見せつつアシストに徹して、長い歴史の中で培われたヨーロッパのプロレースの流儀に応えよう、と、シーズン当初はもしかしたら考えていたのかも知れません。経過と結果はご存じのとおりですが、色々な意味で、この結果をどう見るか。まあ、評論家各氏や、ツールの偉大な先達のコメントを待ちましょう。そしてバイクラが極めてユニークな雑誌だったころのバイクラの編集発行人、佐藤晴男氏はどんな風に書くでしょうか。バイシクル21の9月号あたりが楽しみです。
ところで今中大介。シマノから派遣されたのさ、などという陰口(?)も聞かれましたが、実力の世界でそんなものが何かの足しになるはずもなく、1996年ツールの今中は、自分の力を信じて戦い抜きました。今中のツール出場は、すっかり過去の彼方の事件となってしまいましたが、さて、どんなツールだったのでしょうか?
‘96ツールは22チーム、総勢198名がスタートしましたが、序盤から低温と悪天候が続き、山岳でタイムアウトする選手が続出。結局、129人しかパリにたどり着けない(完走率65%)という、壮絶なサバイバルレースとなっています。今中は悪天候の中、まずいことに風邪をひいてしまい、せき込み、脳貧血状態になるなど、山岳で散々、地獄を見ます。そして第14ステージの山で、タイムアウトしてしまいます。
完走できなかった、と言ってしまえば簡単ですが、あの厳しい’96ツールで、よくあそこまで走りぬいたものだ、と思わずにはいられません。すごく頑張った今中。パリにその姿を見ることができなくて残念でした。しかし、今中は力の限りを尽くして走り、戦ったのです。
すっきり晴れたパリでは、とんでもない速度で流して走る集団の中にインデュラインがいましたが、連覇が途切れて、気楽に走っているようでした。
実は1996年、インデュラインの6連覇と今中の完走を見ようと旅行を計画し、最終日の7月21日、私はつれあいとコンコルド広場辺りにいました。結局、今中は一週間前にリタイヤしてすでに走っておらず、マイヨはデンマークのビャルヌ・リースのものとなっていました。あの日のパリはとてもいい天気で、暑かったのをおぼえています。
市川雅敏のジロ出場50位完走から19年、今中のツール出場から13年が経過しました。そして今年の新城と別府。来年以降が楽しみです。一ファンとしては、市川のように山岳で勝負できる日本人が出現するのを心待ちにしたいと思っています。
下の写真右は、90年代最強チームMAPEIのアンドレア・タフィ。(手ぶれご容赦)
評 価→★★★★★