(承前)
day3、稚内まで。
ここへきて、これってネタバレっていうんじゃ?ということに気がついてしまいました。
しかし、今更レビューのスタイルを変えてもどうにもなるまいということで、気がつかなかったことにしてこのまま進めることにします(笑
天塩までは波丘地のアップダウンのつづき。温泉でゆったりして脚も軽い・・・ということもなく、まぁ淡々と進みます。
沿道には、広々とした畑や牧草地、原野が広がります。
木立の丈は低く、厳しい北国の気候を想像させます。
遠別の神社は、関東の常識では考えられない山の樹で鎮守の杜をつくっていました。
天塩では、この先の道道106号を走破するにあたって、補給と腹ごしらえを念入りに。
道中、補給が可能な地点はドライブインと、自販機のある休憩所「こうほねの家」の2ヶ所しかありません。
こうほねの家では、期間限定で出張販売が出るようですが、私が訪れた時には閉鎖されていました。
ちょっと話が前後します。
こうほねの家でコーラを飲みつつ休憩している時に、ドライブの途中で立ち寄った女性と「自転車で
走っているの?」と立ち話。
軽ーくスイスイと、どこへでも行けちゃうんでしょう?
いやいや、そんなことはありませんよ。向かい風じゃあ、全然スイスイ進まない(泣
道道106号でのサロベツ原野の旅へ出発。立派な歩道がある理由は不明です。
路肩も広いので走行ラインは色々と選べるのですが、ここまでの国道とは違い、端の白線近くの舗装の継目を
はじめとして路肩の荒れが少々激しく、歩道を走ったり、自動車の轍に入って走ったこともありました。
私の走った時間帯がたまたまそうだったのか、交通量が非常に少なく数分間車と出会わないことも度々だったので
割と自由にやっていたのですが、自動車の方は非常にスピードが出ているので充分に気をつけるべきなのは都会と
変わりないか、それ以上かもしれません。
後ろから走ってくる車が自転車1台を視認するのはどれくらい手前でしょうか、前レビューにあるように視認性高い
ジャージを意図して選んできているので相当遠くから見えているとは思いますが。。。
北緯45度線を越え、
稚内市に入るころには、いつの間にか利尻富士が真横から少し後方に見えるようになっていました。
たしかに、勾配の感覚が破壊されるような感じがあります。この絵にはカメラのいたずらも相まっているのですが、
常に僅かに登っているような錯覚を持って進んでいる時間が多かったのは事実。
北からの4~5m前後の向かい風(波間にわずかに白うさぎ)が影響していたとも思いますが。
坂の下交差点。オロロンラインこと道道106号線は直進して丘を越えていきますが、ノシャップ岬を回っていくことにして左へ。
北防波堤ドーム。
Forumsに投稿した駅の写真と並んで稚内のシンボルですね。
こうして切り取ってみると、ギリシャ神殿のような趣きがあります。
稚内の市街地を流していると、「帰ってきた」という印象を強く持ちました。初めて訪れた町なのに。
そして、達成感とともに「終わってしまったんだな」と、まぁこれはありがちな気持ちを抱えつつ、
その日の宿にチェックインしたのでした。
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走り通し、休暇を終えて日常へ戻ってからレビューをまとめてみて、何が一番印象的だったか?と考えてみました。
石狩から留萌にかけての、地形とともに表情を変える日本海の風景か。
羽幌周辺の波丘地の雄大な風景か。
サロベツの広大な原野と砂丘、見果てるまで伸びる道か。
どれもそれぞれに印象的で、それぞれの局面で、SierraNovemberさんの「心を折られるので覚悟してください」という
言葉が心の底に落ちていく感じを味わいもしました。それでも一方でそのようなことを心の中で期待もしていて「お、きたきた」とか
思っている自分が。どM?
そのなかでやはり一番エキセントリックな風景は道道106号線沿いの風景となるでしょう。
広大な風景、絶景も、見方を変えれば単調な風景。ペダリングの繰り返しで、気がつけば脳内には音楽が流れています。
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いつのまにかジョン・コルトレーンはソプラノ・サックスのソロを吹きやめている。
そして今ではマッコイ・タイナーのピアノ・ソロが、耳の奥で鳴り響いている。
左手が刻む単調なリズムのパターンと、右手が積み重ねる分厚いダークなコード。
(中略)
我慢強いくりかえしがわずかずつ現実の場を切り崩し、組みかえていく。そこにはかすかに催眠的な、危険の匂いがある。
(中略)
僕は歩きつづける。ジョン・コルトレーンがまたソプラノ・サックスを手にとる。反復が現実の場を切り崩し、組みかえる。
(村上春樹「海辺のカフカ」下巻より)
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森の中に深く踏み込んだカフカくんは夢と一体化するのですが・・・
深い森とは正反対ですが、サロベツの広大な風景と一人向き合う中では、時間の感覚、距離の感覚をはじめとした
様々な身体感覚が乱され、組み替えられた末に自分の意識が広大な風景へ拡散され、一体化するような体験をしました。
自分には禅の素養はまったくないのですが、なにか(宗教的なのとは違う)瞑想のような体験でもあったのかと。
だいぶんクサい表現をしてしまいましたが、普段のサイクリングロードや峠道のように刻々と変わる風景を味わうのとは異なる、
得がたい経験ができたと思います。
評 価→★★★★★★(精神世界にも降りていける?稀有な道)